2011年4月24日日曜日

13年秋 金鯱vsタイガース 4回戦

10月7日 (金) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 4 0 2 0 1 0 1 0 8 金鯱       5勝16敗 0.238 常川助三郎 古谷倉之助
0 2 0 0 1 0 1 0 0 4 タイガース 10勝9敗   0.526 木下勇 若林忠志


勝利投手 常川助三郎 4勝3敗
敗戦投手 若林忠志   0勝1敗
セーブ   古谷倉之助 2


二塁打 (金)五味、瀬井、岡野2 (タ)本堂、御園生、藤村


常川助三郎、二連勝


 前日10連敗を免れた金鯱は常川助三郎が連投で先発、前日久々に猛打爆発のタイガースはプロ入り初登板となる下手投の木下勇が先発。

 金鯱は初回、一死後岡野八郎が中前打で出塁、瀬井清の投ゴロをピッチャー木下は二塁に送るがこれをセカンド奈良友夫がエラー。しかし二走岡野が木下の牽制球に釣り出されてタッチアウト、小林茂太の右前打で二死一三塁、武笠茂男死球で二死満塁とするが長島進が遊ゴロに倒れて無得点。

 金鯱は2回、先頭の五味芳夫が左中間二塁打、浅井太郎中前打、常川助三郎四球で無死満塁とする。タイガースベンチはここで木下をあきらめて何と若林忠志を投入する。若林は肩の治療のため和歌山で温泉療法を続けていた。昭和13年春季リーグ戦は全休しており、昭和12年秋季リーグ戦11月17日(水) 後楽園球場で行われたタイガースvs名古屋6回戦で9勝目をあげて以来の登板となる。トップに返り佐々木常助の三ゴロをサード伊賀上良平がエラーして1点を先制、岡野の一ゴロはファースト本堂保次がバックホームして三走浅井が本封されて一死満塁、ここで瀬井が左中間に走者一掃ののタイムリー二塁打を放って4-0とする。

 タイガースは2回裏、カイザー田中義雄左前打、本堂中越え二塁打で無死二三塁、一死後若林の二ゴロの間に田中が還って1-4、トップに返り塚本博睦が左中間を抜いて2-4とする。

 金鯱は4回、岡野の二塁打と瀬井の四球で二死一二塁、岡野が三盗するとキャッチャー田中の悪送球で生還、小林茂の二ゴロをセカンド奈良がこの日二つ目のエラー、瀬井が還って6-2とする。タイガースは5回、2安打と3四球で1点、金鯱は6回、佐々木の盗塁と岡野の二塁打で1点、タイガースは7回、藤村富美男四球、景浦将左前打、奈良中前打で無死満塁、ここでリリーフに出た古谷倉之助から田中の遊ゴロ併殺の間に1点、金鯱は8回、小林茂太のタイムリーで1点を追加して金鯱が8対4でタイガースを降して二連勝。


 この試合の模様は当ブログの実況よりも翌日の読売新聞における三宅正夫記者による論評の方が当時の状況を的確に理解できると思いますので少し長いですが全文を掲載させていただきます。

 「まさか前日の一勝を以て能事足れりとした訳ではあるまいがとるべき手段を弄さず終始弛緩したプレーを繰返してダイヤモンドを金鯱の独走に委ねたタ軍の敗戦は余りにも醜態であった。タ軍ベンチが沈滞した気分の転換を計るため新人投手を抜擢したのは分かるが、それにしても入団早々で未知数の木下に大切な更生の門出を委ねたのは失敗であり、その球速には稍見るべきものがあったが全然投手としてのフォームに入っておらず、2回2安打、1四球で早くも無死満塁の危機を残して退場した。しかもリリーフにプレートから遠ざかること久しく恢復の程度さえ判然せぬ若林を用いたのは失敗の上塗りというべく、昔日の老巧味を失った若林は瀬井に許した二塁打が因をなして一挙4点の致命傷を受けた。出鼻をくじかれたタ軍はその裏直に2点を返しながらも全軍闘志を喪失して反発の気勢揚らず、常川の飄々として捉えどころなき軟投に制せられて7回無死満塁の逆転機も古谷の救援にかわされたうえ、4、6、8回は或は連失、或は連安打にずるずると献点して脆くも金鯱の膝下にひれ伏した。まさしく当初実力の出し惜しみが無残な最期を招いたのである。」

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