2011年4月12日火曜日

13年秋 名古屋vsセネタース 2回戦

9月30日 (金) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋    7勝6敗2分 0.538 伊藤国雄 松尾幸造 田中実
0 1 3 0 0 0 0 0 X 4 セネタース 7勝7敗1分 0.500 伊藤次郎


勝利投手 伊藤次郎 3勝1敗
敗戦投手 松尾幸造 2勝4敗


二塁打 (名)松尾 (セ)今岡、森口
本塁打 (セ)遠藤 2号


伊藤次郎、今季三度目の完封


 セネタースは2回、現在首位打者の五番キャッチャー佐藤武夫が左前打で出塁、今岡謙次郎が左中間に二塁打を放ち無死一二塁、名古屋ベンチは先発の伊藤国雄を下げて松尾幸造をリリーフに送る。伊藤次郎の遊ゴロで佐藤と今岡がスタート、ショート村瀬一三はホームをあきらめ三塁に送球して今岡はタッチアウト、この間に佐藤が還って1点を先制する。

 セネタースは3回、この回先頭の森口次郎が右中間に二塁打、好調尾茂田叶四球で無死一二塁、ここで四番遠藤忠二郎が左翼スタンドにスリーランホームランを叩き込んで4-0とする。セネタース打線は4回以降松尾から1安打、7回から三番手として登板した田中実にも1安打に抑えられて追加点は奪えず。

 しかし好調名古屋打線も伊藤次郎の軟投に手を焼き得点が奪えず、伊藤は8安打2四球4三振で今季三度目の完封で3勝目をあげる。

 佐藤武夫はこの日も4打数2安打で今季通算39打数17安打、4割3分6厘と断トツの首位打者をキープしている。


 台湾出身の伊藤次郎は平安中学に野球留学しています。平安時代は春夏合わせて7回甲子園に出場して、1928年夏の北海中学戦ではノーヒット・ノーランを記録しており、通算で合計140個の三振を奪っているようです。学制が違うので一概には言えませんが、桑田が5回出場して通算150個、島袋は4回で130個、松坂は僅かに97個(2回しか出場していませんが)。桑田が150個の三振を奪うのに要したイニングは197回3分の2になりますので、146回で140個の三振を奪ったようである伊藤次郎は相当の速球派であったと想像できます。因みに伊藤以上は明石中学の楠本保が2百数十個(全ての記録が残っていないようです)、中京商業三連覇の吉田正男が203個(コントロールで勝負する吉田は250回を投げての記録のようです)、大正時代最高の投手・和歌山中学の小川正太郎の160個とほとんど神話の世界の三人だけのようです。平安中学時代から10年が過ぎていますのでプロでは軟投派と言われていますがバッティングを活かして野手でも起用されるなど、運動能力の高さも相当なものであったようです。

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