2015年9月16日水曜日

17年 巨人vs阪神 12回戦


10月1日 (木) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 3 0 2 0 1 1 0 10 巨人 54勝23敗4分 0.701 須田博
1 0 0 0 0 0 0 0 0  1  阪神 39勝37敗5分 0.513 御園生崇男 渡辺誠太郎

勝利投手 須田博        16勝6敗
敗戦投手 御園生崇男 11勝12敗

二塁打 (巨)呉

勝利打点 白石敏男 6

猛打賞 (巨)呉波 4、白石敏男 4


巨人打線15安打10得点

 この日のスコアカードには「用球の反発力普通となる」と書かれている。

 第一試合の野口二郎は2安打完封、第二試合の須田博は1安打1失点完投で、確かに用球の反発力は普通に戻ったようである。一方、第二試合の巨人は15安打10得点。ところが、15安打のうち長打は呉波の二塁打1本で14本はシングルヒット、やはり用球の反発力は普通に戻ったようである。


 巨人は初回、先頭の呉が初球を叩いてレフト線に二塁打、青田昇も初球を三遊間ヒットして無死一三塁、白石敏男も初球を左前に運び3球で1点を先制、なお無死一三塁から中島治康の二ゴロで白石が二封される間に三走青田が還り2-0、伊藤健太郎の左前打で一死一二塁、永沢富士雄の二ゴロをセカンド三輪裕章がエラーする間に二走中島が還ってこの回3点を先制する。

 阪神は1回裏、二死後山口政信の遊ゴロをショート白石がエラー、門前真佐人の左飛をレフト伊藤が落球して二死一三塁、ワイルドピッチで三走山口が還って1-3とする。

 巨人は3回、先頭の白石が三塁に内野安打、中島の三ゴロをサード乾国雄がエラー、伊藤が送って一死二三塁、永沢は捕飛に倒れるが坂本茂が四球を選んで二死満塁、須田博の左前打で白石、中島に続いて一走坂本までもが生還して6-1、須田にはこの一打で3打点が記録された。

 巨人は5回、先頭の永沢が中前打、坂本の二ゴロをセカンド三輪裕章が又もやエラー、須田は遊飛に倒れるが、ボークで二者進塁、多田文久三の左前タイムリーで7-1、トップに返り呉のピッチャー強襲ヒットもタイムリーとなって8-1とする。


 巨人は7回、二死後呉が四球を選んで出塁、青田が中前打で続いて二死一二塁、白石の中前タイムリーで9-1とする。更に8回、一死後7回から永沢に代わってファーストに入っている小暮力三が四球で出塁、坂本が送って二死二塁、須田の中前タイムリーで10-1と大差を付ける。

 須田博は1安打3四球3三振1失点、自責点ゼロで完投、16勝目をあげる。打たれた1本は公式記録では「ショートへの内野安打」、翌日の読売新聞には「7回山口に遊撃右を抜かれた」と書かれている。


 ミッドウェー海戦の敗北から約3か月、国民には伏せられていたが危機感を抱いた軍部は大量の人員を戦地に送り込み、9月にはプロ野球からも各球団大量応召となってメンバーが大幅に入れ替わった。阪神は内野陣の補充ができず、本日もサード乾国雄が1エラー、セカンド三輪裕章が2エラーで全て失点に結びついた。巨人も川上哲治、水原茂、楠安夫、広瀬習一、中尾輝三らが抜けたが、川上の穴をベテラン永沢富士雄と新鋭小暮力三が埋め、水原の穴をルーキー青田昇が埋め、楠に代わってマスクを被る多田文久三も大過なく役目を果たし、投手陣の穴を藤本英雄が埋めることにより、一時大洋に追い詰められたもののこの後独走態勢を築いていくこととなる。


 

2 件のコメント:

  1. 試合用球には、初年度の昭和11年にもこういう話がありますね。昭和11年10月15日号の『アサヒスポーツ』"聞きたい知りたい!職業野球内幕話"という座談会からです。なかなか興味深い内容です。

    藤木九三 職業野球は面白いといっている人もあるが、どこが面白いのか。
    夏目小一郎 兎に角打つから面白い。山下の本塁打なんか、甲子園の外野を抜いてヒマラヤスタンドの中に打込んだのだから痛快だった。勝敗はどうだって、よく打ってくれさえすればよい。巨人対タイガースのノーヒット・ノーラン・ゲームなんて投手が上手かも知れないが興味がない。
    森茂雄 職業野球チームの球は特別に良く飛ぶように作ってあるのです。
    芥田武夫 美津濃運動具店の話だが普通の球に比べての反発力の差は四メートルの高さから落して、普通球は一メートル三〇、職業野球の球は一メートル四〇と一〇の差だそうだ。球を飛ぶようにしたのはたしかに名案だと思う。

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    1. 久保田製のニューボールは4尺3寸の反発でした。これは昭和11年では飛ばないとされた1メートル30。ということは、この頃の普通のボールの反発力は1メートル20くらいだったようです。

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