神山圭介著「英霊たちの応援歌」が刊行されたのは昭和53年のことで筆者が大学2年の時です。
「最後の早慶戦」をベースに特攻で死んでいった近藤清、加藤三郎や石丸進一を描く同著では主役が誰とは特定はできませんが、「最後の早慶戦」の実現に奔走した早稲田大学野球部マネージャー相田暢一も主役の一人として描かれています。戸塚球場にやってきた小泉信三慶應義塾大学塾長を相田が貴賓席に案内するのを振り切って小泉が学生席に向かうシーンも描かれています。
この物語では文部省に気兼ねして最後まで開催に踏み切らなかった早稲田サイドを悪く描くケースが見られますが、同著では早稲田大学野球部長である外岡法学部教授だけに責任を負わせないために中村法学部長がスタンドに姿を現したシーンを飛田穂洲の言葉として「外岡君が法学部の教授だからなにかのときに外岡君をかばうためにみえられたのでしょう。早稲田にもそういう侍がおられて嬉しいね」と描いています。
相田暢一も鹿屋基地に赴任しますが、偵察要員であったため生き残りました。終戦直後の昭和20年11月に行われたオール早慶戦の開催にも奔走した相田の胸の中には特攻で死んでいった近藤清や加藤三郎が一緒にいたのでしょう。
野茂、佐々木、秋山の殿堂入りが大きく報道される中で、相田暢一の殿堂入りは小さく扱われています。当ブログは、並列に扱うべきであると考えます。
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