明けましておめでとうございます。
早いもので当ブログも開設から4回目の新年を迎えました。継続的な読者の方々に支えられきた結果であり、改めて感謝申し上げます。
昨年末には「大戦前夜のベーブ・ルース」、「日米野球の架け橋 鈴木惣太郎の人生と正力松太郎」、「天才野球人 田部武雄」が相次いで刊行され、野球史探究への興味が高まってくる可能性があります。当ブログが果たすべき役割を認識したうえで実況中継を継続していきますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
*開設以来のページビューの月足チャート。日経平均株価同様高値引けとなっています。
*1日150~200件のページビューをカウントしていただいております。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
返信削除新年の御挨拶もそこそこに、早速ですが、『大戦前夜のベーブ・ルース』関連について。
貴ブログは「大戦前夜のベーブ・ルース (二)」でヘイニー・マナシュをご紹介していますが、戦後に鈴木惣太郎が雑誌『野球日本』で連載した記事によりますと、マナシュは脚に腫物ができて来日しなかったそうです。
マナシュと同時期(1934年8月7日)に来日が発表されたアール・エヴリル、ジョー・クローニン、ビル・ディッキー、チャーリー・ベリーのうち、クローニンは『大戦前夜のベーブ・ルース』で書かれている通り、手首の故障で辞退、ディッキーは腕を骨折(鈴木)、ベリーは病気(鈴木)で不参加となりました。
マナシュ、ディッキーが来日していたら、沢村栄治の草薙での奇跡は後年においてもっと評価が違っていた(もちろん良い意味で)のではないかと妄想しています(笑)。
http://eiji1917.blog62.fc2.com/
今年もよろしくお願いいたします。
削除ヘイニー・マナシュは来日できなかったからか日本では実力の割に無名ですね。アメリカでもMVP投票で二位が1回、三位が2回でMVPは獲得できませんでした。1928年のMVP投票では2ポイント差でミッキー・カクレンに負けましたが、数字的にはマナシュが圧倒しています。