2014年1月21日火曜日

ア・リーグ流とナ・リーグ流



 昭和16年南海vs名古屋5回戦を伝える翌日の読売新聞に興味深い記述が見られますのでご紹介させていただきます。


 南海2回の攻撃で一死満塁の場面、まだ0対0なので現代であれば中間守備でサードとファーストはバックホーム体制、セカンドとショートは二塁でのダブルプレー狙いか、普通の守備位置で「1点は仕方ない」もありでしょう。


 昭和16年7月7日付読売新聞に掲載されている鈴木惣太郎の論評は「この時名軍としてはアメリカン・リーグ流に内野の後退に併殺を狙う一手があったのにナショナル・リーグ流の本塁封殺を狙って内野陣を前進させると前田に三遊間を抜かれ・・・」と伝えています。


 大リーグ通の鈴木惣太郎が両リーグの野球スタイルに精通していたことは歴史的事実です。1935(昭和10)年から1941(昭和16年)までの両リーグのMVPはア・リーグがハンク・グリーンバーグ、ルー・ゲーリッグ、チャーリー・ゲーリンジャー、ジミー・フォックス、ジョー・ディマジオ、ハンク・グリーンバーグ、、ジョー・ディマジオに対して、ナ・リーグはギャビー・ハートネット、カール・ハッベル、ジョー・メドウィック、アーニー・ロンバルディ、バッキー・ウォルターズ、フランク・マコーミック、ドルフ・カミリとなっています。



 ア・リーグはチャーリー・ゲーリンジャーを除いてホームラン・バッターが名を連ねているのに対して、ナ・リーグはピッチャーとキャッチャーが二人ずつでホームランバッターはドルフ・カミリだけです。これはベーブ・ルース出現以降、ア・リーグはホームラン時代であったのに対してナ・リーグは伝統的なスモール・ベースボールを引き継いでいたことを表していると言えるでしょう。


 このような状況下における両リーグの守備体型について、鈴木惣太郎は精通していたということです。



*1941年に34本塁打、120打点の二冠を獲得してナショナル・リーグMVPに輝いたドルフ・カミリの直筆サインカード。





 

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