11月7日 (木) 甲子園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 黒鷲 44勝44敗4分 0.500 長谷川重一
0 0 3 0 0 0 1 1 X 5 阪神 56勝33敗3分 0.629 木下勇
勝利投手 木下勇 16勝11敗
敗戦投手 長谷川重一 12勝10敗
三塁打 (神) 本堂
勝利打点 なし
木下勇、今季4度目の完封
黒鷲は初回、二死後玉腰忠義が中前打で出塁、中河の中前打で玉腰は三塁に進み、センタージミー堀尾文人がお手玉する間に打者走者の中河も二塁に進んで二死二三塁、しかし長谷川重一は一ゴロに倒れて先制のチャンスを逃す。
阪神は3回、森国五郎の一ゴロをファースト中河がエラー、トップに返って堀尾の三ゴロでランナーが入れ替わり、皆川定之の右前打で一死一三塁、皆川が二盗を決め本堂保次が四球を選んで一死満塁、伊賀上良平の遊ゴロをショート山田潔が失する間に三走堀尾に続いて二走皆川もホームに還って2点を先制、なお一死一三塁からカイザー田中義雄の右犠飛で1点を追加して3-0とする。黒鷲は中河、山田という守備の名手によるエラーで失点した。
阪神は7回、一死後皆川が四球で出塁、本堂が左中間に三塁打を放って4-0とする。
阪神は8回、一死後木下勇が四球で出塁、森の三塁内野安打で一死一二塁、トップに返り堀尾の三ゴロで森は二封、堀尾が二盗を決め、皆川が四球を選んで二死満塁、本堂が押出し四球を選んで5-0として試合を決める。
木下勇は5安打2四球1三振で今季4度目の完封、16勝目をあげる。
木下は今季は阪神で17勝をあげる。戦後は昭和23年の大洋ロビンスでも17勝、二リーグ分裂後の昭和25年には西鉄クリッパースで11勝と、激動の時代を生き抜き3球団で二桁勝利をあげて通算70勝をマークすることとなる。
米子中学(現・鳥取県立米子東高等学校)出身の木下勇は、プロ野球引退後は岡本利之と共に山陰高校野球界の指導者として重要な役割を果たすこととなる。境高校監督時代はエース米田哲也を擁しながら甲子園出場を逃すが、母校の米子東高校と島根県・大田高校の監督として甲子園に出場することとなる。
*木下勇は今季4度目の完封で16勝目をあげる。
*昭和26年西鉄ライオンズ初年度時代の木下勇のサイン。
*境高校時代は木下の指導を受けた米田哲也のサインカード。BBM「エースの系譜」20枚限定バージョンです。
木下勇投手についても球種が知りたいです。
返信削除アンダースローだったのは調べていればわかったのですが・・・