2013年6月23日日曜日

15年 阪急vs巨人 13回戦


11月6日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 阪急 56勝34敗5分 0.622 石田光彦
1 0 0 1 0 0 0 1 X  3 巨人 68勝26敗 0.723 須田博

勝利投手 須田博    35勝11敗
敗戦投手 石田光彦 15勝12敗

三塁打 (巨)川上

勝利打点 中島治康 10


上田藤夫、一試合6併殺

 巨人は初回、先頭白石敏男がストレートの四球で出塁、水原茂の三ゴロの間に白石が二進、中島治康が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。川上哲治が四球を選んで一死一二塁とするが、千葉茂の投ゴロは「1-6-3」と転送されてダブルプレー。

 巨人は3回、先頭の須田博の二ゴロをセカンド伊東甚吉がエラー、トップに返り白石が左翼線にヒットを放ち無死一二塁、しかし水原の投直に二走須田博が飛び出し「1-6B」のダブルプレー。中島も遊ゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は4回、先頭の川上がセンター奥深く三塁打、千葉が中前にタイムリーを放って2-0、吉原正喜は右飛に倒れて一死一二塁、平山菊二の遊ゴロが「6-4-3」と転送されてダブルプレー。

 巨人は6回、先頭の水原がストレートの四球で出塁、中島が左前打で続き、川上は三邪飛に倒れて一死一二塁、千葉の遊ゴロが又も「6-4-3」と転送されてダブルプレー。

 巨人は7回、先頭の吉原の三ゴロをサード黒田健吾がエラー、しかし平山の遊ゴロが三度「6-4-3」と渡ってダブルプレー。

 巨人は8回、先頭の白石が四球で出塁、水原が左前打、中島が中前打を放って無死満塁、川上の二ゴロが「4-6-3」と転送されてダブルプレーとなる間に三走白石が還って3-0とする。この場合川上には打点は記録されない。千葉が四球を選んで二死一三塁、ここでダブルスチールを敢行するが「2-4-2」と転送されて水原はタッチアウト。

 須田博は阪急打線を5安打1四球2三振に抑えて今季16度目の完封、35勝目をあげる。


 上記のとおり巨人打線は6個の併殺を喫し、阪急守備陣は6個の併殺を記録した。「一試合最多併殺記録」は1970年4月23日の阪急、1995年5月17日の巨人、1996年8月18日の横浜が記録した「6個」のようです。本日の阪急守備陣が記録した6併殺も日本記録である可能性があります。

 ショートの上田藤夫は全ての併殺に絡んでおり、個人で一試合6併殺の記録を樹立しました。正式に記録が残されているのか不明ですが、史上最多記録の可能性も否定できないでしょう。

 上田藤夫の守備の記録としては「ショートとしての一試合最多補殺記録12個」が伝わっています。「Wikipedia」には「1943年の名古屋軍戦では遊撃手として12補殺のプロ野球記録」と書かれていますが(2013年6月23日現在)、これは毎度のことながら間違いです。この記録が達成されたとされる日付けは1938年9月24日の名古屋vs阪急戦です。


 永田陽一著「ベースボールの社会史 ジミー堀尾文人と日米野球」には「上田は1938年9月24日の名古屋戦に1試合12補殺という地味だが、いまだに破られていないプロ野球記録を残している」と書かれています。但し、スコアカードにはこの試合の上田の補殺は「11個」という記録が残されています。全プレーを確認しても11個で間違いありません。ショートフライを捕球して「刺殺」が1個記録されています。


 なお、「Wikipedia」によると金子誠が2004年7月6日の大阪近鉄戦で「1試合遊撃手最多11補殺」を記録しているとのことです。これだと1938年9月24日に記録された上田藤夫の11補殺はタイ記録ということになります。





                *須田博は今季16度目の完封で35勝目をあげる。










      *6個の併殺を喫した巨人打線。













*ショートの上田藤夫は6個の併殺全てに絡む。名前の左横の守備成績欄は左から「刺殺」、「補殺」、「失策」、「併殺」、「守備位置」となっています。














*昭和13年9月4日の名古屋vs阪急戦でショートの上田藤夫は11補殺を記録しました。












 

2 件のコメント:

  1. 守備の記録は地味ですからね。一般の話題になるのは、連続無失策記録ぐらいではないでしょうか。

    さて、上田藤夫の記録ですが、『勇者たち』(著:永井正義)に、
    「・・・上田は昭和十三年九月二十四日の対名古屋4回戦(甲子園)で、プロ野球史上初の「遊撃手として1試合12補殺」を記録。十五年十一月六日の対巨人13回戦(後楽園)では「1試合6併殺」を完成させている。
    この二つの記録はセ・パ両リーグとも「1試合11補殺」と「1試合5併殺」が最高記録で、いまなお更新記録を許していない」

    この『勇者たち』が出版されたのは1978年1月ですから、1977年より以前は上田の一試合補殺数・併殺数はプロ野球記録だったのでしょう。以降は更新されたかどうかは不明です。
    著者の永井氏は元スポニチ記者で、南海ホークス後期の広報として覚えている人も多いでしょう。

    にしても、wikipediaには困ったものですね(笑)。私は簡易的な備忘録のような位置づけをしていますよ。
    さすがに愚ブログの内容を無断でそっくりそのまま記事にしているのには、怒りを通り越して呆れてしまいましたが。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 昭和13年9月24日の上田藤夫の守備の状況は以下のとおりです。

      初回、戒能朶一の遊飛を捕球して刺殺1個を記録。鈴木秀雄の遊ゴロを失して失策1個を記録。遊ゴロと重盗を防ぐ「2-6-2」の送球で補殺2個を記録。

      2回、無死一二塁から遊ゴロ二封と遊ゴロ併殺で補殺2個を記録。

      4回、5回に遊ゴロを一つずつ捌いてここまで合計6補殺を記録。

      7回に遊ゴロを2個捌き、8回は遊ゴロ1個、9回も遊ゴロを2個捌いて合計11補殺を記録しました。

      当日の実況中継ではこんな話題になるとは知らず全く触れていませんね(笑)。




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