7月6日 (土) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 1 0 1 0 3 パ軍 18勝20敗2分 0.474 真田重蔵
0 0 0 0 1 1 2 0 X 4 巨人 25勝14敗1分 0.641 中尾輝三 近藤貞雄
勝利投手 中尾輝三 4勝4敗
敗戦投手 真田重蔵 11勝7敗
セーブ 近藤貞雄 1
二塁打 (パ)森下 (巨)川上
勝利打点 (巨)多田文久三 9
巨人、適時打ゼロで辛勝
西宮の第2試合は真田重蔵と中尾輝三の先発で午後3時丁度、杉村主審の右手が上がりプレイボール。
パ軍は初回、第7節以降の17試合で68打数20安打と打撃好調の木暮力三が右前打で出塁、白石が四球を選んで無死一二塁、5月23日の無届け出場以降14試合で53打数15安打と沢村キラーと呼ばれた強打の片鱗を見せている藤井勇が中前にタイムリーを放ち1点を先制、森下重好は遊ゴロ併殺、小島利男は右飛に倒れてこの回1点止まり。
巨人は5回裏、先頭の呉新亨が左前打で出塁すると二盗に成功、山川喜作のニゴロが進塁打となって一死三塁、千葉茂のニゴロの間に三走呉が還って1-1の同点に追い付く。続く川上哲治が中越えに二塁打を放つが、黒沢俊夫は三振に倒れてこの回同点止まり。
パ軍は6回表、一死後藤井が四球を選んで出塁、初回のチャンスを併殺打で潰した主砲森下が中越えにタイムリー二塁打を放ち2-1と勝ち越す。
巨人は6回裏、一死後多田文久三の当りは三ゴロ、これをサード平野徳松が一塁に悪送球、宮下信明が四球を選んで一死一二塁、中尾の投ゴロで二走多田が三封されて二死一二塁、トップに返り呉新亨が四球を選んで二死満塁、ここで真田が山川に対して痛恨の押出し四球、2-2の同点とする。
巨人は7回裏、先頭の川上が左前に流し打って出塁、黒沢は四球、中島は二遊間内野安打で無死満塁、多田の中犠飛で3-2と勝ち越し、宮下の遊ゴロ併殺崩れの間に三走黒沢が還って4-2とリードする。パ軍はここでセカンドを小島から高須清に代えて一息入れ、中尾はニゴロに倒れてスリーアウトチェンジ。
パ軍は8回表、先頭の藤井が四球で出塁、続く森下もストレートの四球で無死一二塁、巨人ベンチはここで中尾は限界と見て近藤貞雄をリリーフのマウンドに送り込む。高須がセオリーどおり三前に送りバント、これをサード山川がファンブル、犠打とエラーが記録されて無死満塁、辻井弘のゴロはバックホーム体勢のショート宮下の守備範囲に飛んで三走藤井は本封、一死満塁から近藤のワイルドピッチで三走森下が還って3-4と1点差、伊勢川真澄は三振に倒れて二死二三塁、平野に代わる代打佐竹一雄のカウントツーボールワンストライクからの4球目、三走高須がホームスチールを試みるがタッチアウト。
パ軍は最終回、二死後木暮が二遊間にヒット、白石が四球を選んで二死一二塁と最後の粘りを見せるが、藤井は捕邪飛に倒れてゲームセット。
巨人はタイムリーヒット0本で辛うじて逃げ切った。近藤が2試合連続先発で失敗してこの日のリリーフは予定の行動か。4連敗を免れた巨人は、1.5ゲーム差に迫ってきた二位タ軍と、ゲーム差無しで三位の阪急に2ゲーム差を付けて首位の座をキープしている。
高須清の本盗狙いは代打佐竹一雄の打席だっただけに議論を呼ぶところ、狙うのであったら成功させなければならない。東京六大学野球のスター選手であった高須清はプロの水には合わなかった。というより、早稲田大学野球部の正統派としての伝統を引き継ぐ高須は、プロ野球に迎合することはなかったのである。今では大学で活躍すると猫も杓子もプロに行きます。ちゃんと活躍すればそれも構わないのですが、コロナに感染したくいらいしか話題にならない伊藤隼太のような例ばかりが目立ちます。1970年代頃までは、東京六大学のスター選手の多くはプロには行きませんでした。当時の左打者ベストスリーと言えば早大の谷沢、鍛治舎、慶大の松下勝美ですが、プロに行ったのは谷沢だけ。鍛治舎が松下電器(現・パナソニック)でサラリーマンになるという話を聞いたときは愕然としたものです。当時の「週刊ベースボール」には、松下勝美の「プロには全く興味がない」というインタビュー記事が掲載されていました。誇り高き六大学のスター選手は、プロには行かないというのはむしろ自然だったのです。谷沢の入団1年目に黒い霧事件が世間を揺るがしました。谷沢が1年遅れて生まれていれば、プロには行かなかったかもしれません。高須清も、小島利男も、本来であれば伊達正男先輩のようにプロには行くべきではなかったのでしょうね。
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