2020年4月11日土曜日

コンセプト


 いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。

 当ブログの閲覧数は1日100ページビュー(PV)~150PVで安定推移してきました。GoogleのPV数は「ページが読み込まれた回数」と定義されています。1日に複数回閲覧される方や数日おきにまとめて閲覧される方もいらっしゃるかと思いますので、概ね100人程度の常連の方に継続してご覧いただいているものと推測しています。


 さて、このところ当ブログの閲覧数(PV)が倍増しています。過去にも同様の事象が認められたことが2回あります。一度はGoogleに対するサイバー攻撃が話題になった時期で、ロシアからのアクセス数が急増しました。もう一度は、2017年にNHKで放映された「1942年のプレイボール」の制作にご協力させていただいていた時期で、番組関係者の方々の閲覧が増えたことが要因であったと考えられます。


 今回は、新型コロナウイルス感染防止の観点から、テレワークや外出自粛の方が増え、閲覧数が増加しているものと推測しています。当ブログのテーマに鑑みれば、新規の閲覧者が増加したということは考えにくいとは思いますが、新たに当ブログに興味を持っている方もいらっしゃるかもしれませんので、改めまして当ブログについて説明させていただきます。


 当ブログが解読している昭和12年~24年の一リーグ時代のスコアカードは、2010年1月に神保町の古書店で入手したものです。元の所有者は福室正之助氏で、球界ではよく知られた方です。このスコアカードは戦後になって、オリジナルを山内以九士氏が清書したバージョンであり、某大手スポーツ紙の資料室でも同様のスコアカードを見せていただいたことがありますので、球界には複数存在するかもしれませんが、野球殿堂博物館も一リーグ時代のスコアカードは所有していません。


 なお、同博物館では昨年から、1950年~75年の日本シリーズのスコアカードと、1958年以降の公式戦のスコアカードが閲覧できるようになりました。まだあまり知られていないようですが、興味のある方はご覧ください。コピーや写真撮影は禁止されていますのでご注意ください。現在は新型コロナウイルスの影響で休館中です。


 プロ野球の公式スコアは、現在でも「慶應式」が採用されていますので、当ブログが解読しているスコアカードも「慶應式スコア」になります。今後もスコアの一部を掲載させていただくことがあるかと思いますが、一般的に見慣れている「早稲田式」とは違いますのでご了承ください。以下、当ブログを閲覧される上での注意事項を記します。


・「犠牲フライ」は、一リーグ時代では昭和14年4月24日~昭和15年の時期だけが「公式記録」となっていますが、それ以前と以降は「凡打」扱いとなっています。当ブログではスコアカードから「犠飛」と認められるものについては「犠飛」としてお伝えしていますが、公式記録では「凡打」となっていますので、「打数」にはカウントしています。(2013年8月25日付け「犠牲フライの取扱いについて」参照)


・「セーブ」は一リーグ時代は公式記録ではありませんが、現行ルールに照らしてセーブシチュエーションで投球完了した場合は「セーブ」を記録しています。


・「勝利打点」は1981年~88年だけ「公式記録」となっていますが、当ブログでは決勝点について「勝利打点」を記録しています。
(2010年3月22日付け「序説」、同年3月24日付け「解読」等参照)


 なお、昭和21年の「実況中継」で参照している「日本野球年鑑」は、日本野球連盟が発行した戦後最初の公式記録集となります。アメリカ野球学会の会合でお付き合いさせていただいている千葉功さんに「俺は2冊持っているから君に1冊やるよ」といただいたものです。他では見ることはできないでしょう。


 昭和24年の解読まで、あと数年かかる予定です。気楽にお付き合いください。


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