昭和16年10月9日、後楽園球場の第二試合は9回日没引分けとなりました。
第一試合の開始時間は12時半、延長13回の試合は2時間8分かかって試合終了は2時38分でした。第二試合の開始時間は3時10分、9回までに1時間50分を要して9回裏終了は5時ということで日没引分け再試合が宣告されました。
当時としては異例の長時間試合が続いた訳ですが、要因ははっきりしています。第一試合の名古屋vs阪神戦では名古屋が9残塁、阪神が17残塁。第二試合の朝日vs大洋戦では朝日が9残塁、大洋が12残塁。2試合4チーム合計47個の残塁を記録したことが長時間試合の要因です。この記録は同一球場で1日に記録された残塁数としては世界記録ではないでしょうか(一日3試合以上を除く)。
因みに昭和17年5月24日の後楽園球場第三試合、朝日vs大洋戦は延長28回引分けでしたが朝日は17残塁、大洋は15残塁。第一試合の大洋vs巨人戦は大洋が4残塁で巨人は6残塁、第二試合の朝日vs名古屋戦は朝日が4残塁で名古屋は8残塁。この日は変則トリプルヘッダーでしたが多い方の第二試合と第三試合を足しても合計44残塁にしかなりません。
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