2012年2月26日日曜日

14年 ライオンvs南海 9回戦


9月14日 (木) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 1 0 0 2 ライオン 23勝42敗5分 0.354 岡本利之
0 0 0 1 0 0 4 0 X 5 南海   29勝37敗4分 0.439 劉瀬章


勝利投手 劉瀬章     6勝8敗
敗戦投手 岡本利之 1勝4敗


二塁打 (ラ)水谷
本塁打 (南)鶴岡 7号

鶴岡一人、景浦に並ぶ第7号


 ライオンは3回、先頭の坪内道則が中前打で出塁、玉腰年男が投前に送りバントを決めて水谷則一の右翼線二塁打で1点を先制する。

 ライオン先発の岡本利之は丁寧なピッチングで南海打線のタイミングを外して3回までパーフェクトピッチング。遊飛が4個、遊ゴロが2個、外野飛球が3個。

 南海は4回、一死後小林悟楼の遊ゴロをショート松岡甲二がエラー、鶴岡一人は中飛に倒れるが小林が二盗を決めて二死二塁、岡村俊昭の遊ゴロを松岡が一塁に悪送球する間に小林が還ってノーヒットで1-1の同点に追い付く。更に吉川義次の捕邪飛をキャッチャー鈴木秀雄が落球するが岡本は吉川を三振に打ち取る。

 ライオンのショート松岡は6回にも2つのエラーを犯して4失策を記録して山本尚敏と交代する。この回は二死満塁となるが中村金次は左飛に倒れる。

 ライオンは7回、先頭の山本の三ゴロをサード鶴岡が一塁に悪送球、この場面を翌日の読売新聞は「名人鶴岡が珍しくも三ゴロを悪投して二塁に生かし・・・」と伝えている。二死後玉腰が四球を選んで一二塁から水谷が右前にこの日2本目のタイムリーを放って2-1と勝ち越す。

 6回まで劉瀬章の左前打1本に抑えられてきた南海は7回、先頭の中田道信が中前打で出塁、劉は三振に倒れるが上田良夫が右前打を放って一死一二塁、トップに返り平井猪三郎が左前打を放つ。翌日の読売新聞によると「鬼頭の本塁送球よく中田を塁前に刺したかに見えたが不運にも背に当って一塁方面のネット際に転々、剰え(あまつさえ=筆者注)捕手からの送球を岡本がファンブルする間に二者の生還を許し・・・」とのこと。この間に二走中田に続いて一走上田も還って3-2と逆転する。中田の生還は平井のタイムリーによるものと判定されて平井には打点が記録されている。平井の二進には鬼頭の悪送球が記録され、平井の三進には岡本のエラーが記録されている。一走上田の生還も鬼頭と岡本のエラーによるもの。一死三塁から小林の遊ゴロの間に平井が生還して4-2、ここで鶴岡が左翼スタンドに景浦将とホームランダービー首位に並ぶ第7号を叩き込んで5-2とする。

 劉瀬章は6安打4四球1三振の完投で6勝目をあげる。


 岡本利之は味方の7失策(本人の1失策を含む)にもめげず粘りのピッチングを見せて8回を完投した。米子中学(現・鳥取県立米子東高等学校)出身の岡本は戦後は山陰高校球界の指導者として活躍し、母校を率いて山陰高校球界史上唯一の甲子園準優勝に導くこととなる。本日見せた粘り強いピッチングこそが、戦後指導者として花開く原点であろう。


 スコアブックに残された記録では7回の4失点は全て自責点となっている。野球規則では「投手の守備上の失策は、自責点を決定する場合、他の野手の失策と同様に扱って、自責点の要素からは除かれる」はずなので、鬼頭と岡本のエラーが絡む上田と平井の生還は自責点とはならないはずです。昭和32年にベースボール・マガジン社から刊行された広瀬謙三著「野球スコアのつけ方」にも「投手の守備上の失策は、他の野手の失策と同様に扱って、自責点決定の場合の要素からは除かれる。」と書かれています。昭和14年当時でも同様の解釈であったと考えられますので記載ミスでしょう。






               *劉瀬章は6安打完投で6勝目をあげる。








*南海の7回の4得点は全て自責点と記録されている。得点を表す「O」の中に「E」(アーンドラン=自責点)が書かれています。4回の得点には「E」はありません。


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