2012年2月5日日曜日

14年 ジャイアンツvsタイガース 8回戦


8月27日 (日) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 ジャイアンツ 45勝18敗1分 0.714 スタルヒン
1 0 0 0 1 0 1 0 X 3 タイガース    43勝19敗2分 0.694 若林忠志


勝利投手 若林忠志  13勝3敗
敗戦投手 スタルヒン 29勝10敗


二塁打 (ジ)水原 (タ)本堂

いちばん熱い夏


 昭和14年のペナントレースは史上初の一シーズン制となりましたが春季、夏季、秋季シリーズにも分けられています。

 いよいよ夏季シリーズ最終戦を迎えた。夏季シリーズではここまでジャイアンツが23勝7敗1分で7割6分7厘、タイガースが23勝8敗で7割4分2厘、最終戦が優勝決定戦となった。ジャイアンツ・スタルヒン、タイガース・若林忠志、当然両エースの対決となった。

 この試合のスコアブックにはカウントも記載されています。記録員も特別扱いしていたようです。

 タイガースは初回、二死後ジミー堀尾文人の遊ゴロをショート白石敏男が一塁に低投、景浦将はワンゼロから4つボールが続いて四球、ここはスタルヒンが警戒し過ぎたか、二死一二塁となって門前真佐人が二遊間を破る先制タイムリーを放ち1-0とする。

 ジャイアンツの序盤戦は最悪の形となった。初回、一死後水原茂がレフトに二塁打を放つが千葉茂の二直に飛び出してゲッツー。2回は一死後川上哲治がワンスリーから四球に歩くが平山菊二が初球を遊ゴロ、「6-4-3」と渡ってダブルプレー。3回も先頭のアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)がセンター左にヒットを放つが吉原正喜の遊直に飛び出して併殺を喫す。

 5回に大きな山場を迎えた。ジャイアンツは5回表、二死後平山菊二がピッチャー強襲ヒットで出塁、リベラの初球に平山は二盗に成功、ファウル、ボール、ボール、ファウルのツースリーからリベラが四球を選んで二死一二塁、続く吉原はツースリーから5球連続ファウルで粘り四球を選んで二死満塁、しかしスタルヒンはツーワンから見逃し三振に終わる。

 タイガースは5回裏、先頭の若林が初球を中前に弾き返して出塁、続く皆川定之はツーナッシングと追い込まれながら3球目を右翼線にヒット、若林が三塁に進んで無死一三塁、トップに返り松木謙治郎は浅い右飛に倒れるが本堂保次が左中間に二塁打を放って2-0とする。翌日の読売新聞によるとヒットエンドランが掛かっていたとのこと。この回の攻防が勝敗を分けることとなった。

 タイガースは7回、先頭の皆川定之がツーワンからの4球目を左翼線にヒット、松木がゼロワンから右前打を放って無死一三塁、翌日の読売新聞によるとここもエンドランであった。本堂は三振に倒れるが堀尾が右犠飛を打ち上げて3-0とリードを広げる。

 ジャイアンツは9回、先頭の千葉がツースリーから四球を選んで出塁、中島治康は捕邪飛に倒れ川上哲治の遊ゴロが野選を誘い一死一二塁、川上には代走呉波が起用される。平山は左飛に倒れて二死一二塁、リベラがノーツーから右前にタイムリーを放ち1-3としてなお二死一三塁、しかし吉原がワンゼロから遊ゴロに倒れてタイガースの夏季シリーズ逆転優勝が決定した。


 5回の吉原正喜の5球連続ファウルの場面を翌日の読売新聞は「左翼方面に痛烈な当りをもって五度ファウルされて脅かされたが事重大と見て四球を与え満塁としてスタルヒンを斥けて巧みに危機を切り抜けた。」と伝えている。吉原の打球方向は左翼方向が多く、あまり器用なタイプでは無かったようだ。V9時代の高田繁も器用そうに見えて左翼線への痛烈なファウルが多く打率は高くなかった。

 昭和14年の8月は71試合を消化して炎天下で激闘が繰り広げられた。過去2年の経験則から梅雨時期に試合を減らして6月は46試合、7月は27試合というスケジュールを組んだしわ寄せが一気に噴き出した訳であるが、いちばん熱い夏となった。






       *若林忠志は137球で6安打4四球2三振の完投、13勝目をあげる。







     *吉原正喜が5回の第二打席で5球ファウルを続けた場面。「△」がファウルです。






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