8月26日 (土) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 1 0 0 1 0 3 ジャイアンツ 45勝17敗1分 0.726 中尾輝三 スタルヒン 楠安夫
1 0 0 0 1 2 0 0 X 4 名古屋 24勝37敗3分 0.393 大沢清 繁里栄
勝利投手 繁里栄 9勝13敗
敗戦投手 スタルヒン 29勝9敗
二塁打 (ジ)水原 (名)村瀬、大沢、中村
大沢清、4打数3安打2打点の活躍
名古屋は初回、一死後村瀬一三が右中間に二塁打、三番ピッチャー大沢清が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。
ジャイアンツは4回、一死後水原茂が三遊間を破り、千葉茂は右飛に倒れて二死一塁、中島治康の右飛をライト岩本章がエラーして二死一二塁、川上哲治の一ゴロをファースト三浦敏一がエラーする間に水原が還って1-1の度同点に追い付く。
ジャイアンツは5回、二死後白石敏男が死球を受けて出塁、水原が左中間を抜いて白石が還り2-1とリードする。
名古屋は5回裏、一死後桝嘉一が四球を選んで出塁、二死後大沢が左中間にタイムリー二塁打を放って2-2に追い付く。大沢清はピッチャーとしては2失点、バッターとしては2打点をあげる。
同点に追い付いた名古屋は6回から大沢をファーストに回し繁里栄をマウンドに送る。ファーストの三浦がキャッチャーに回り、キャッチャーの服部受弘に代わって鈴木秀雄が入ってレフト、レフトの加藤正二がライトに回り、ライトの岩本に代わって繁里が入ってピッチャーとなる。
同点に追い付かれたジャイアンツは6回から先発の中尾輝三に代えてスタルヒンを投入するが何とこれが裏目に出た。
名古屋は6回、先頭の中村三郎が中越えに二塁打、ジャイアンツはここでセンターをアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)から呉波に交代する。鈴木は右前打から二盗を決めて無死二三塁、芳賀直一が左前にタイムリーを放ち3-2と勝ち越し、芳賀が二盗を決めて再度無死二三塁、繁里は捕邪飛に倒れるがトップに返り桝が四球を選んで一死満塁、村瀬がスクイズを決めて4-2とする。これからすると繁里の捕邪飛はスクイズ失敗であった可能性がある。
ジャイアンツは8回、先頭の水原が左前打で出塁、千葉が四球を選んで無死一二塁、中島の遊ゴロで千葉は二封、中島が二盗を決めて川上の四球で一死満塁、呉に代わる代打三田政夫の二ゴロの間に水原が還って3-4、しかし平山菊二は二ゴロに倒れて同点機を逸す。
7回からマウンドに上がったジャイアンツ三番手の楠安夫は2イニングを無走者に抑える。
繁里は最終回、吉原正喜を中飛、楠を右飛に打ち取り二死無走者、名古屋はここでショートを村瀬から木村進一に交代、最後は白石が右飛に倒れて試合終了を告げるサイレンが高々と鳴り響く。
この結果夏季シリーズではジャイアンツが23勝7敗1分、タイガースが23勝8敗となり、夏季シリーズ最終日となる明日27日のジャイアンツvsタイガース8回戦が優勝決定戦となった。スタルヒンの連勝記録は9でストップした。
翌日の読売新聞によると「小西監督の戦前作戦は『・・・大沢を投手に立てて思い切りスローボールでいじめつけて見る。これでうまく行かなければ繁里の救援だ。・・・』・・・大沢のスローボールは巨人軍打者を焦らせて非常な効果があった・・・」とのこと。
更に翌日の読売新聞は「名軍新選手登録」の見出しで「26日の理事会で名古屋軍に平安中学出身の木村進一選手(21)が登録承認された。遊撃手で昨夏の中等大会に平安が優勝した時の四番打者で卒業後今春立命館大に入学中途退学した、背番号21。」と伝えている。最終回二死から村瀬に代わってショートの守備に付き、プロ入り初出場を記録した。
木村進一は後に西村進一として球史に名を残すこととなる。戦争で利き手の右手首を失った西村は母校平安の監督となり、義手を駆使した左手一本の猛ノックでナインを鍛え上げ、1951年夏の甲子園優勝に導く。2回戦は松商学園を1対0、準々決勝は都島工業を延長10回2x対1、準決勝は快童・中西太を擁する高松一高を4対3で降す接戦に強いチームを作り上げたのである。西村の不屈の闘魂を選手が感じ取った優勝であったと言える。
*後の西村進一、木村進一が9回二死からショートの守備についてプロ入り初出場。
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