9月12日 (火) 甲子園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 イーグルス 21勝46敗1分 0.313 亀田忠
1 1 0 3 0 0 0 2 X 7 名古屋 25勝41敗3分 0.379 繁里栄
勝利投手 繁里栄 10勝14敗
敗戦投手 亀田忠 11勝18敗
二塁打 (イ)岩垣、筒井 (名)芳賀
三塁打 (名)加藤
繁里栄、5安打完投で10勝目
イーグルスは初回、先頭の岩垣二郎が右翼線に二塁打、杉田屋守の一塁線バントが内野安打となって無死一三塁、寺内一隆の右犠飛で1点を先制する。
名古屋は1回裏、一死後石田政良の二ゴロをファースト菅利雄がエラー、二死後石田は二盗に成功、加藤正二が左中間に三塁打を放ち1-1の同点に追い付く。翌日の読売新聞によると「左翼塀に直接叩きつける物凄い三塁打」とのこと。当時の甲子園球場は左中間、右中間が膨らみをもつ広さで昭和9年に来日したベーブ・ルースですら「甲子園は広すぎてホームランは打てない」と降参した程です。今季はここまで甲子園では鶴岡一人とジミー堀尾文人の2本しかホームランは出ていません。因みに後楽園球場では80本出ています。
名古屋は2回、先頭の中村三郎が四球で出塁、芳賀直一の遊ゴロでランナーが入れ替わり、繁里栄は三振に倒れるが村瀬一三が右前打を放って二死一二塁、ここでダブルスチールを敢行、キャッチャー伏見五郎は三塁ではなく二塁に送球するがこれが悪送球となる間に二走芳賀が生還して2-1と逆転する。芳賀と村瀬には盗塁が記録されている。
名古屋は4回、先頭の芳賀が右翼線に二塁打、繁里が一塁に内野安打、村瀬の左前タイムリーで3-1、トップに返り桝嘉一の遊撃内野安打で無死満塁、石田の中前タイムリーで4-1、大沢清の右犠飛で5-1とリードを広げる。名古屋は8回、先頭の村瀬が四球を選んで出塁、桝の右前打で無死一三塁、続く石田の中飛で三走村瀬はそのままですが一走桝がタッチアップから二塁に進んでいます。恐らく村瀬がタッチアップから擬走してセンター寺内がバックホームした隙に一走桝がタッチアップから二塁に進んだものと考えられます。一死二三塁から大沢の二ゴロの間に村瀬が還って6-1としてなお二死三塁、伏見のパスボールの間に桝が還って7-1とダメ押す。
名古屋先発の繁里栄は2回まで5安打を許すが3回以降イーグルス打線を無安打に抑え、5安打3四球4三振の完投で10勝目をあげる。
イーグルスの敗因の一つに1回裏のファースト菅利雄のエラーがあります。春季、夏季シリーズに全試合出場した中河美芳は秋季シリーズに入って姿が見えません。ケガであればこれだけの人気選手ですから何か報道があってもおかしくはないと思われますが読売新聞にはケガを報じた記事は見られません。とすると憲兵隊に尋問されている可能性があります。であれば読売新聞が報道できるはずはありません。当時の選手の多くは兵役延長のため大学に籍を置いていましたが、中河はこれで憲兵に兵役逃れとして目を付けられていたと言われています。「タコ足中河」として人気があったため目立ってしまったようです。察知した球団或は聯盟が中河の出場をストップさせていたのかもしれません。
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