9月9日 (土) 甲子園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 名古屋 24勝40敗3分 0.375 松尾幸造 西沢道夫
0 0 0 0 0 5 0 0 X 5 阪急 44勝21敗1分 0.677 荒木政公
勝利投手 荒木政公 8勝1敗
敗戦投手 松尾幸造 5勝11敗
二塁打 (名)松尾
山田伝のバスターで松尾を粉砕
名古屋打線は阪急先発・荒木政公の前に4回まで1安打無得点。名古屋は5回、二死後村瀬一三が中前打を放って出塁、松尾幸造が中越えにタイムリー二塁打を放って1点を先制する。
阪急打線は名古屋先発・松尾幸造の前に5回まで2安打無得点。阪急は6回、先頭の西村正夫が四球を選んで出塁、フランク山田伝の右前打で無死一三塁、この場面を翌日の読売新聞は「山田はバントの構えから突如一塁を破る快打を放ち一三塁の好機となる」と伝えており、バスターエンドランであったようである。当時もバスター戦法があったことは以前にもお伝えしているとおりです。上田藤夫が中前に同点タイムリーを放って1-1、山下好一の中前打で無死満塁、山下実の右前タイムリーで2-1と逆転、日比野武は三振に倒れるが田中幸雄が右前にタイムリーを放って3-1、伊東甚吉の左前2点タイムリーで山下好一と山下実が還って5-1として先発松尾をKO、リリーフに西沢道夫が登板する。西沢はこの回西村に四球を与えただけで7回、8回はパーフェクトリリーフを見せる。
荒木政公は余裕のピッングで6回以降は2四球無安打無失点、結局3安打2四球無三振の完投で8勝目をあげる。
阪急は8安打のうち6本をを6回に集中して大量得点に結び付けた。8安打は何れもシングルヒットで日比野武を除く8人全員が1安打ずつを記録した。
6回にフランク山田伝が見せたバスターが大量得点のきっかけとなった。当時の記事には稀に「バントの構えからヒッティング」という記述が見られます。昭和48年の甲子園で柳川商業が作新学院の江川を苦しめたバントの構えからヒッティングに出る打法は「プッシュ打法」と呼ばれておりまだ「バスター」は使われていません。私の大学時代(昭和52~55年)には「バスター」と認識して試合でも使っていましたので、昭和50年頃から「バスター」という言葉が使われ始めたようです。
第三試合の金鯱vsジャイアンツ戦は雨のため4回で中止、ノーゲームとなった。9月11日付け読売新聞によると、10日に予定されていた三試合も雨のため順延された。
*荒木政公は3安打完投で8勝目をあげる。
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