2011年7月22日金曜日

14年 名古屋vsジャイアンツ 1回戦

3月22日 (水) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 名古屋         1勝2敗 0.333 松尾幸造
0 2 0 0 0 0 0 0 X  2 ジャイアンツ 4勝0敗 1.000 川上哲治


勝利投手 川上哲治 2勝0敗
敗戦投手 松尾幸造 1勝1敗


二塁打 (名)加藤

川上哲治、生涯最後の完封勝利


 川上哲治は13年夏の北海道遠征の函館戦で地元の永澤富士雄が張り切り過ぎて怪我をして控え一塁手の川上がファーストに入って活躍をしてレギュラーポジションを獲得し、以後打者として活躍することとなると伝えられていますが、昨秋の日本選手権第四戦にも先発していますし、本日は4安打完封勝利を飾っています。

 ジャイアンツは2回、一死後永澤、平山菊二が連続四球、キャッチャー三浦敏一からの二塁牽制が悪送球となって一死二三塁、続く川上の当りは一二塁間への軟ゴロとなりセカンド戒能朶一が捕ってそのまま一塁ベースに駆け込み川上はアウトとなって記録は「4A」。この間に三走永澤は当然ホームイン、更に二走平山も三塁ベースを蹴ってホームを陥れて2点を先制する。川上にはこの二ゴロで2打点が記録されている。ピッチャー松尾幸造が一塁ベースカバーを怠ったことにより生じた2失点であるが、この当時はまだピッチャーの左の打球は一塁ベースカバーに走るということが徹底されていなかったようです。キャンプでこのカバープレーを練習するようになったのは戦後巨人がドジャース戦法を取り入れたベロビーチキャンプからではないでしょうか。

 名古屋は7回、一死後三浦が四球から盗塁、二死後松尾、戒能朶一が連続四球を選んで二死満塁とするがトップに返り石田政良に代わる代打芳賀直一はツースリーから三振に倒れる。8回は二死後加藤正二が左翼線に二塁打を放つが大沢清は三ゴロに倒れる。

 名古屋は9回、二死後松尾に代わり代打に村松幸雄が起用されて右翼線にヒットを放つ。村松は掛川中学出身の期待のルーキーでこの日がプロ入り初出場となりプロ入り初ヒットを記録する。村松は昭和15年に21勝をあげてエースとなりますが、プロ初出場はご覧のとおり代打でヒットを放っています。本職のプロ入り初登板は3月31日のこととなりますのでしばらくお待ちを。「戦場に散ったエース 投手・村松幸雄の生涯」は村松を伝える貴重な文献ですが、「プロ初陣」として3月31日の初登板には触れていますが本日の初出場初ヒットについては触れていませんので貴重な記録となります。同著によると麻雀が強くて勝負強いタイプだったとのこと、プロ初出場から勝負強さを遺憾なく発揮しております。

 松尾幸造は3回以降ジャイアンツ打線を無得点に抑え、8回を完投して5安打5四球4三振。

 川上哲治は4安打6四球6三振の完封で今季開幕戦に次いで2勝目をあげる。川上の完封勝利は昭和13年7月8日、春季リーグ戦対名古屋5回戦で西沢道夫と投げ合って1対0で完封して以来二度目のこととなる。この時も4安打完封であった。川上が投手として完封勝利を記録したのは生涯でこの二度だけのことである。二度とも名古屋戦であったのはトリビアになるかも。

 なお、この試合でジャイアンツの先発マスクを被ったのは平山菊二です。吉原正喜は開幕から打撃好調でしたので引っ込められたのではなく恐らく怪我でしょう。吉原が復帰するのは4月2日のこととなります。

 日本プロ野球私的統計研究会」様によると平山菊二が一リーグ時代にキャッチャーとして出場したのは5試合であり、うちスタメンマスクは1試合とのことですので、本日の試合と言うことになります。





*川上哲治はプロ入り二度目にして生涯最後の完封勝利を飾る。






               *川上のニゴロの場面





*このニゴロで2打点を記録している。恐らく現在の公式記録員は1打点しか記録しないのではないか。





        *村松幸雄のプロ入り初出場、初ヒットの場面








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