2011年7月21日木曜日

14年 ライオンvs南海 1回戦

3月22日 (水) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0  0   1  2 ライオン 3勝0敗1分 1.000 福士勇 菊矢吉男
0 0 0 0 0 1 0 0 0  0   0  1 南海       0勝4敗       0.000 政野岩夫


勝利投手 菊矢吉男 2勝0敗
敗戦投手 政野岩夫 0勝2敗

二塁打 (南)平井
三塁打 (ラ)玉腰
本塁打 (南)平井 1号

ライオン三連勝


 ライオンは初回、先頭の坪内道則が右前打で出塁、岡本利之は二飛に倒れるが水谷則一の三ゴロをサード平井猪三郎が一塁に悪送球する間に坪内は三塁に進んで一死一三塁、鬼頭数雄が右前にタイムリーを放って1点を先制する。

 ライオン先発の福士勇は5回まで南海打線を2安打無得点に抑える。守備陣も1回には1-6-3、4回には4-6-3のダブルプレーを決める。

 南海は6回、一死後平井がレフトポール際にホームランを放って1-1の同点に追い付く。ライオンは6回から二番手として菊矢吉男がマウンドに上がる。

 南海先発の政野岩夫は2回以降、2回と5回を除いて毎回走者を出すが無失点で切り抜ける。

 ライオンは9回、先頭の昨年は南海に所属していた西端利郎が左前打で出塁、松岡甲二が送って一死二塁とするが、菊谷の右飛に二走西端が飛び出して9-6と渡ってダブルプレー。

 南海も9回裏、先頭の山尾年加寿が左前打で出塁するが七番ライト天川清三郎の投ゴロで1-6-3のダブルプレー。吉川義次が左前打を放つが政野が遊飛に倒れて延長戦に突入する。

 ライオンは11回、先頭の玉腰年男が左中間に三塁打、中継に入ったショート小林悟楼の悪送球の間に玉腰が還って決勝の1点をあげる。菊谷は11回裏の南海を三者凡退に退けてライオンは初戦の引分け以降三連勝。


 南海では平井猪三郎が4打数2安打、二塁打1本、本塁打1本の活躍を見せる。平井は浪華商業時代、1934年センバツ準優勝時のメンバー。戦後は母校浪商の監督として戦後初の大会となった1946年夏の甲子園に優勝して現役時代の雪辱を果たす。プロには行かなかったがパ・リーグ審判となった平古場昭二投手を擁しての優勝であったが、この大会には愛知商業の牧野茂(V9時代の川上監督の懐刀)も出場している。平古場の活躍で野球に興味を持った淡路島在住の深田公之少年は長じて阿久悠となり、傑作「瀬戸内少年野球団」を著すこととなる。因みに平古場氏は審判引退後は同じ瀬戸内海・小豆島のゴルフ場で支配人となりました。










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