1 0 0 1 0 0 0 0 0 2 阪急 19勝23敗2分 0.452 今西錬太郎
0 0 0 0 0 0 1 0 2X 3 太陽 17勝25敗1分 0.405 真田重蔵
勝利投手 真田重蔵 7勝9敗
敗戦投手 今西錬太郎 9勝5敗
二塁打 (急)田中 (太)辻井、森下、平野
本塁打 (急)田中幸男 1号 (太)森下重好 3号
勝利打点(太)平野徳松 1
平野徳松がサヨナラ二塁打
甲子園の第1試合は今西錬太郎と真田重蔵の先発で午後1時32分、金政球審の右手が上がりプレイボール。
阪急は初回、先頭の田中幸男がワンボールからの2球目をレフトスタンドに叩き込む先頭打者ホームラン、1点を先制する。
阪急は4回表、先頭の下社邦男が中前打で出塁、日比野武も左前打を放って無死一二塁、荒木茂の二遊間寄りの二ゴロはセカンド荒川昇治がベースを踏んで一塁に転送して「4B-3」のゲッツー、二死三塁となったが今西が中前にタイムリーを放ち2-0とする。
太陽は7回裏、一死後森下重好がセンター右奥に二塁打、伊勢川真澄の中前打で無死一三塁、平野徳松の右犠飛で1-2と1点差に迫る。
太陽は9回裏、二死後森下がレフトスタンドに起死回生の同点ホームラン、更に伊勢川が左前打で出塁、平野が中越えにサヨナラ二塁打を放ち劇的な逆転サヨナラ勝ち。
真田重蔵は7安打3四球2三振の完投で7勝目をマークする。
平野徳松がサヨナラ二塁打でプロ入り初の勝利打点を記録した。
今季の平野は開幕当初はショートで起用されてきたが徐々に出番は少なくなり、第9節までの36試合で出場は16試合に過ぎなかった。しかし前節の第10節では5試合の内3試合に起用されて7打数4安打と当たっていた。
平野はルーキーシーズンの昭和21年は全て内野手として主にサードで出場。今季もサードとショートで起用されているが徐々に外野も守るようになる。打順は下位のバイプレイヤーでほぼ無名であるが、ユーティリティプレイヤーとして11年間の長きに亘りプロ野球で活躍していくことになる。
孫の平野真一は卓球のトップアマとしてプレーした後、自転車競技のロードレースに転向してプロ選手として活躍し、スポーツ界を引退後は音響エンジニアに転じるという多才ぶりを見せている。脚力はプロ野球で長く活躍した祖父譲りのものであろう。多才な面もユーティリティプレイヤーだった祖父に似ている。
*登録名を平野謙二に変更後の平野徳松の直筆サイン入り写真。出身が「海草中学」になっているが、これは「海南中学」の間違い。当時の野球雑誌にはこういうミスプリントは多いので注意が必要。平野の直筆サインが当ブログ所有のもの以外に残されているかは不明。
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