国久松一の強肩については大和球士著「真説日本野球史」昭和篇その三に「特にバカ肩では、タイガースの景浦以上と評価される」と書かれています。
当ブログでは、国久の強肩を客観的データから証明することに成功しました。
昭和15年のレギュラー捕手であった吉川義次を兵役で欠いた南海は昭和16年開幕の黒鷲戦に松本光三郎をキャチャーに起用、松本は開幕戦で満塁ホームランを放つ華々しい活躍を見せました。しかしこの試合で3盗塁を許した松本は続く巨人戦でも6盗塁を許すこととなり、南海は三戦目から木村勉をキャッチャーに起用することとなります。その木村が7月6日の名古屋戦で途中退場し、これまでも時々キャッチャーとして起用されたことがあるセカンドの国久松一が代わってマスクを被ることとなり、国久は12試合続けてキャッチャーとして出場することとなりました。
この間の国久の盗塁阻止率は「企図数18、許盗塁8、盗塁刺10」で5割5分6厘となり、これだけでも高い盗塁阻止率ではありますが当ブログが大騒ぎする程の数字でもありません。数字の中身をさらに精査すると、許盗塁8個には、一三塁からの二盗が4個と重盗の合計6盗塁が含まれており、これを除くと盗塁阻止率は8割3分3厘に跳ね上がります。
7月6日名古屋戦で吉田猪佐喜の二盗を刺したのを皮切りに、8日の朝日戦では戸川信夫の二盗を2個と室脇正信の二盗を刺し、14日の巨人戦で吉原正喜の二盗を刺し、15日の阪急戦でフランク山田伝の三盗を刺し、17日の名古屋戦でも石丸進一の二盗を刺します。更に8月2日の巨人戦で平山菊二の二盗を刺し、吉原の二盗はショート前田貞行にエラーが記録されているのでこのケースでは盗塁刺が記録されることになります。昨日お伝えしたとおり9日の阪神戦で松下繁二の三盗を刺しました。
一三塁からの二盗と重盗を除くと、国久が許した盗塁は7月17日名古屋戦での服部受弘の二盗と8月4日阪急戦でのフランク山田伝の二盗だけです。
8月11日の巨人戦から木村勉がキャッチャーに復帰し、国久松一はセカンドに戻ることとなります。僅かなサンプル数ではありますが、12試合で実質盗塁阻止率8割3分3厘を記録した国久の強肩ぶりが数字で証明されたのです。
木村勉が何故欠場していたのかは定かではありません。恐らく怪我のためではないかと考えられます。木村は戦争の時代を生き延びて戦後は松竹水爆打線に名を連ねることとなりますが、国久は戦死することとなります。
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