2013年11月7日木曜日

粉河中学



 昨日お伝えした「16年 南海vs名古屋1回戦」で殊勲の2点タイムリーを放った木村勉は粉河中学(現・和歌山県立粉河高等学校)の出身、朝日の伊勢川眞澄も同校出身です。その粉河中学が平成の世に甦りました。


 今月の日本経済新聞「私の履歴書」は積水ハウス会長兼CEOの和田勇氏(流石に“野球人”とは認定できませんので敬称付きとさせていただきます。以下、敬称略)です。和田は最初甲子園を目指して野球強豪校の伊都高校に入学します。しかしレギュラーへの壁は厚く、地元の粉河高校に戻って甲子園を目指しますが肩を壊して断念というのが本日までのところです。本日付第7回に「野球部はそれほど強くなかったが、プロ野球選手も輩出している。1901年創立の伝統校だ。」と書いています。その“プロ野球選手”が木村勉と伊勢川眞澄であることは当ブログの読者であれば先刻ご承知のことでしょう。


 和田の高校時代は1950年台後半から1960年頃のことで、当時は伊都高が強豪だったようです。伊都は1975年にセンバツ初出場を果たしますが、輩出したプロ野球選手のレベルは粉河の方が断然上です。


 木村勉は入団当初は目立つ存在ではありませんでしたが澤村栄治からプロ入り初ヒットを打ったことで自信を付け、南海の主力選手となっていることは当ブログでお伝えして来たとおりで、戦後は松竹水爆打線の一員となり、1958年まで現役を続けることとなります。伊勢川眞澄も戦争の時代を生き抜き、戦後は金星、大映、阪急で主力選手として活躍します。粉河からプロに進んだのはこの二人だけのようですが、二人揃ってプロの世界で20年近く活躍する訳です。






 

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