田中の満票ベストナインはパ・リーグの投手では1958年の稲尾、89年の阿波野以来3人目とのことです。
58年の稲尾は「神様、仏様」の年で杉浦も新人でしたので何となく分かりますが阿波野は意外な感じがしたものです。確かに当時の阿波野のキレは最高でしたね。
89年の前年となる88年は球史に残る「10.19」の年です。以前勤めていた会社で前橋支店に勤務していた時でした。夕方に第一試合が始まったのはフロアのテレビで見ていました。残業が終わって家に帰ると既にニュースステーションの時間でしたが久米宏が「この試合を中継しない訳にはいきません!」と絶叫しながらニュースステーションを中断して川崎球場から「10.19」を中継していました。第二試合は近鉄が1点リードしてこのまま逃げ切れば優勝という場面で第一試合に続いて阿波野がリリーフに出ます。高沢への投球は内角へのスライダー、体に当たりそうなコースに来ましたが高沢が腰を引いて逃げるのではなくバットを内側に引きながら右回転して避けたシーンを見て「ボールが見えてるな」と直感しました。この時高沢が阪急の松永と激しく首位打者を争っていたことも知っていました。案の定、次の外角球をレフトスタンドにホームラン、同点となって近鉄の夢が潰えたことはご存知のとおりです。
人気ではライバルの西崎に一歩譲っていたかもしれませんし、活躍期間も短かったのですが、阿波野が球史に残した印象は満票ベストナインに相応しいものでした。
*阿波野のサインカードは西崎と並べて見るべきでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿