オレハマッテルゼ号の訃報が伝わっています。まだ13歳でした。
現役時代から「俺は待ってるぜ」と読むべきか、「俺、ハマってるぜ」と読むべきか悩み続けてきました。馬主の小田切有一が「どっちでもいいよ」とのことでしたので益々悩みは深くなりました。
3歳の5月という遅いデビュー戦は11着でした。そこからマイル路線で着実に力を付けていき、6歳になってG1・高松宮記念を制するのです。管理する音無秀孝調教師にとっては初のG1制覇、馬主の小田切有一にとっては21年ぶりのG1制覇となりました。その21年前とはオークスのノアノハコブネであり、ハコブネに騎乗していたのが騎手時代の音無秀孝でした。小田切有一と音無秀孝との信頼関係を如実に表していますね。
馬券的な思い出としては2005年の京王杯スプリングカップです。予想はオレハマッテルゼとアサクサデンエンとの一点だったのですが買っていませんでした。翌日、一着アサクサデンエン、二着オレハマッテルゼの結果を見て愕然としたのをよく覚えています。オレハマッテルゼは翌年の京王杯で雪辱を果たすこととなります。
馬主の小田切有一はユニークな馬名で有名ですが、その名が知られるようになったのは1997年にきさらぎ賞を制したヒコーキグモあたりからでしょうか。「ひこうき雲」は荒井由美の楽曲で、今年公開されたジブリ映画「風立ちぬ」の主題歌に起用されています。荒井由美が若くして亡くなった知人を唄っているものです。
小田切有一は1980年に金鯱賞を制したマリージョーイの馬主でもありました。「マリージョーイ」の名前を聞いてピンとくる方はかなりの競馬通です。1979年2月24日、阪神競馬場で行われた毎日杯でマリージョーイに騎乗していた天才・福永洋一は前を行くハクヨーカツヒデに騎乗する斉藤博美騎手がインタームサシとの接触を受けて投げ出されたのを見て咄嗟の判断でマリージョーイを外側に避けようとしましたが、福永自身が空中に放り出される結果となり地面に叩き付けられて脳挫傷を起こして再起不能となり、現在に至るまで車椅子生活を余儀なくされています。息子の祐一は母・裕美子の猛反対を押し切って父・洋一と同じく騎手となって名ジョッキーへの道を突き進んでいます。牝馬でしか勝てないとも言われていましたが2013年の菊花賞をエピファネイアで制して牡馬クラシック初優勝、翌週の天皇賞もゲッタウェイで制して絶好調です。筆者の馬券も珍しく絶好調で、菊花賞の三連単と三連複、天皇賞の三連複を制しています(笑)。因みに菊花賞と秋の天皇賞を連覇したジョッキーは1965年の栗田勝(菊花賞はダイコーター、天皇賞はシンザン)以来のこととなります。筆者が菊花賞と秋の天皇賞の馬券を連覇したのは1977年(菊花賞はプレストウコウ、天皇賞はホクトボーイ)以来のこととなります。
オレハマッテルゼの姉は阪神牝馬特別やマイラーズカップを制した名牝エガオヲミセテでした。小田切有一が馬主で音無秀孝厩舎に所属していたエガオヲミセテは2000年2月に放牧先の山元トレーニングセンンターの火災事故で焼死しました。馬主と厩舎の主力馬を事故で失いましたが、小田切は新たな一頭を音無厩舎に預託します。その名は「ゲンキヲダシテ」。
「俺は待ってるぜ」と読むべきか、「俺、ハマってるぜ」と読むべきか、筆者の悩みは尽きません。天国でオレハマッテルゼ号が笑っているでしょうね(笑)。
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