2013年11月8日金曜日

阿久沢毅



 筆者が30年近く購読している月刊誌「選択」にノンフィクションライター中村計による「不運の名選手たち」が連載されています。世界の政治・経済に鋭く切り込む「選択」としては珍しいスポーツネタですが、第47回の今月号は「阿久沢毅」を取り上げています。


 「戦後、プロ入りしなかった最強の打者。阿久沢は今でもそう語り継がれる伝説のバッターだ。」


 桐生高校時代の阿久沢は王貞治以来の素質とも言われました。左腕小暮(後に早稲田)と共に1978年センバツでベスト四に進み、準決勝で優勝した浜松商業に敗れました。



 阿久沢は桐生高校を卒業後、プロへは行かず群馬大学教育学部に進み、準硬式野球部に入部します。筆者の2学年下となりますので、以前にも書いたとおり筆者も大学時代に対戦したことがあります。小さな公式戦だったと記憶していますが、外野を走る姿を「あれが阿久沢かぁ~」と眺めていました。


 「選択」は「準硬式野球を始めて驚いたのは、東京六大学でも通用しそうな選手がたくさんいることだった。『あれは野球界の暗部ですよ。うまい選手はカンがいいから、どこかで潰されるって本能的に察しちゃうんじゃないかな。だから硬式から準硬式に流れる。』他でもない、阿久沢自身がそうだった。」と書いています。この部分には100%同意はしませんが、いいところを突いているのも事実だと思います。筆者がやっていた東京六大学準硬式野球リーグにも神宮で通用しそうな選手が何人かいました。筆者がそうでない事は100%事実ですが(笑)。


 早稲田の打線には甲子園でホームランを放った強打者が二人名前を連ねていましたし、高校時代に神奈川で「相模の原か、法二の原か」とまで言われた原辰徳と同姓の左のスラッガーも神宮には進まず法政二高硬式野球部から法政大学準硬式野球部に進んでいます。早、法、明の三強は甲子園常連校出身者であふれ返っていました。中央大学との練習試合で習志野が甲子園で優勝した時の主力バッターと対戦した時は「何で俺がこんな連中と一緒にやってんのかなぁ~」と思ったものです。


 筆者の大学は高校の軟式野球部から人材供給が途絶えれば部の存続にもかかわる弱小チームでしたが、それでも同期のエースは全日本選抜チームに選ばれてブラジル遠征に参加しています。彼は高校時代野球未経験でした。高校の一年先輩の四番は六大学選抜チームに選ばれています。この先輩も筆者同様神奈川軟式でしたが東洋大姫路硬式野球部から誘いがあった逸材でした。筆者と同期のキャプテンも六大学選抜チームに選出されましたが筆者の高校とライバル校出身で神奈川軟式のNo1ショートでした。


 甲子園や、六大学や、プロ野球しか野球じゃないと思っている方々はこの現実をどう見る?











 

0 件のコメント:

コメントを投稿