3月18日 (月) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海 2勝1敗1分 0.667 政野岩夫
0 1 0 0 0 2 0 1 X 4 ジャイアンツ 1勝2敗 0.333 スタルヒン
勝利投手 スタルヒン 1勝1敗
敗戦投手 政野岩夫 0勝1敗
二塁打 (ジ)川上
勝利打点 吉原正喜 1
ジャイアンツ片目を開ける
開幕2連敗のジャイアンツはオーダーを変えてきた。一番に千葉茂を起用して二番水原茂、以下中島治康、川上哲治、平山菊二、白石敏男、林清一、吉原正喜、スタルヒン。白石を六番に下げて二番は水原ののまま、三番以下順次繰り上げとなった結果川上が四番に入ることとなった。なお翌日の読売新聞によるとジャイアンツはユニフォームを新調したとのことです。
千葉は戦後まで殆ど三番を打っていて昭和23年から一番を打つようになった。千葉の自伝「猛牛一代の譜」にも昭和23年に青田昇が復帰して千葉が一番に回された時のことについて「じゃじゃ馬青田の復帰で、吾輩は長年住み慣れた三番の座からトップ打者へと転居させられることになるのであります。これまで一度も経験のなかったトップバッター。」と書いています。確かに戦後はこの時が初の一番でしたが戦前は本日を含めて昭和15年に12試合、16年に2試合トップバッターを務めています。なおこの項は「日本プロ野球私的統計研究会」様の「スタメンアーカイブ」を参照させていただきました。
ジャイアンツは2回、先頭の川上が左中間に二塁打、平山が四球を選んで無死一二塁、しかし白石の三ゴロは「5C-3」と渡るダブルプレーとなって二死二塁、林は四球を選んで二死一二塁、吉原が左前に先制タイムリーを放って1-0とする。
ジャイアンツは6回、先頭のスタルヒンの三ゴロをサード上田良夫が一塁に悪送球、矢張り鶴岡一人が兵役で抜けた穴は痛い。トップに返り千葉は右飛に倒れるが水原が中前打、中島の三ゴロをサード上田は今度は二塁に悪送球する間にスタルヒンが還って2-0、川上が左前にタイムリーを放って3-0とする。
ジャイアンツは8回、一死後川上が中前打で出塁、二死後川上が二盗を決めて白石の中前タイムリーで4-0として試合を決める。
3回まで無安打1四球のスタルヒンは4回、先頭の上田に初ヒットを許すが続く国久松一を遊ゴロ併殺に打ち取る。5回~8回は三者凡退。9回、二死後岩出清に左翼線ヒットを許すが最後は戸田与三郎を右飛に抑える。
スタルヒンは2安打1四球6三振の完封で今季初勝利を飾る。ジャイアンツの今季初勝利でもあった。
南海最後の打者となった戸田与三郎は昨年入団したが不出場で今季だけ出場して通算30打数1安打、通算打率0割3分3厘の打撃成績であるが四死球を13個選んでいて通算出塁率は3割2分6厘であり、IsoD(出塁率-打率)は0.293となり、恐らく史上最高でしょう。もちろん母数が少ないことに起因しますが、IsoDが高いことで知られる王貞治ですらわずか0.145です。この記録に気付いたことのある記録マニアの方はいらっしゃいますでしょうか?冗談はさておき、戸田は打力は弱いながらも何とかして塁に出ようと喰らいついていくタイプであったことだけは間違いないでしょう。
戸田与三郎は畝傍中学(現・奈良県立畝傍高等学校)の出身。畝傍高校は2007年センバツ21世紀枠近畿地区代表に選出されたが惜しくも本大会には選出されなかった。終戦間際まで英語教育を行っていたと伝えられる名門校であり、プロ野球には戸田与三郎と昭和27年だけ南海に在籍したと考えられる中谷明之助の二人だけしか輩出していないようですが、女子プロ野球・大阪ブレイビーハニーズの梅本由紀が奈良県立耳成高等学校のOBで、耳成は2004年に畝傍と統合されているので現・畝傍高校出身にカウントされています。
*スタルヒン2安打完封で今季初勝利を飾る。
*戸田与三郎のプロ入り初出場を伝えるスコアカード
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