今月のスポニチの「我が道」はNHKスポーツアナウンサー西田善夫です。西田アナはアイスホッケーの中継がしたくてNHKに入ったそうで初任地はアイスホッケーの聖地・苫小牧に近い室蘭放送局を選んだそうです。バレーボール審判の資格を取得したことからオリンピックのバレーボール中継を多く手がけています。モントリオール女子の「涙なき優勝」も西田アナでした。因みに東京オリンピックの「金メダルポイントです」は鈴木文弥アナです。
西田アナはプロ野球や高校野球も数多く実況中継しています。本日の「我が道」では「NHKを変えた定岡vs原」の見出しで1974年夏の甲子園準々決勝「鹿児島実業vs東海大相模」戦に触れています。2011年3月15日付けブログ「ファインプレー」で「NHK本放送の中継が途中で天気予報と7時のニュースのため中断し、抗議が殺到したことから翌年から教育テレビでも中継を行うようになるきっかけともなった試合でした。」と書かせていただきました。本日の「我が道」でも7時で中継が終了すると抗議の電話が殺到し、鹿児島局の英断で中継を再開した模様を伝えています。鹿児島局の放送部長は「あの時は辞表覚悟で踏み切った」と振り返ったそうです。何と飛ばした番組は当時の超人気番組であった「連想ゲーム」だったそうです。
私の記憶では東海大相模の関東地区でも放送が再開されて中村孝選手の大ファインプレーを生中継で見たと思っていたのですが、関東での放送はなくスポーツニュースで見たのかもしれません。もしかしたらラジオに切り替えて西田アナの中継を聞いていたのかもしれません。この試合で西田アナはラジオ中継を担当したと書いています。
西田アナは「74年夏、東海大相模・鹿児島実業の準々決勝を『思い出の試合に挙げたい』。」と書いています。38年経って、プロのスポーツアナが、この試合を「思い出の試合」としているところが、この試合の全てを物語っています。 原辰徳は、高校1年生だったあの時の気持ちをもう一度思い起こすべきでしょう。
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