2023年8月30日水曜日
22年 中日vs阪急 2回戦
2023年8月28日月曜日
22年 近畿vs巨人 1回戦
2023年8月27日日曜日
野球なんてララ~ラ~ラララ~ラ~ラ~~~
野球なんて試合に出なきゃ上手くならない🥎
私は1974年に慶應義塾高等学校軟式野球部に入部しました🥎
中学は千代田区立一橋中学で、校庭はアスファルトで野球部も無く、競技経験が無かったからです🥎
小学校時代は千葉県市川市国分地区では野球少年として鳴らしていましたので多少は自信がありましたが、受験校出身では硬式はちょっと敷居が高かったですね🥎
この選択は大正解でした。偶然ですが、塾高軟式野球部は私が入部する数年前に全国優勝した神奈川軟式球界の名門でした。もちろんそんなことは知りませんでしたが🥎
これも偶然ですが、1年先輩に硬式の連中が「彼らは何者?」と不思議がっていた二人の左右の天才的プレイヤーが軟式に在籍していたのです。硬式から引っ張られそうになっても何故か軟式に在籍したままだったその二人が当然三、四番を打っていて、五番は何人か候補がいましたがみんな失格で、先輩が3年の夏の大会でそれまで一番だった2年の私が五番に抜擢されました🥎
夏の大会では全然打てなかったのに決勝まで五番で起用され続け、決勝戦で先輩の三、四番を二三塁に置いて優勝を決める2点タイムリーを中前に放って何とか面目を保ちました🥎
先輩の後を追って大学は準硬式野球部に進みました。ライバルは硬式出身者ばかりでしたが2年春からリーグ戦に出場して、大学でも3人でクリーンナップを組むことも多かったですね🥎
3年秋には3割を打って奇跡的にベストナインを獲得。これも全て、試合に出続けて経験を積ませてもらったおかげでした🥎
硬式に行っていたら、と思ったことは何度もあります。高校ではレギュラーにはなれたと思いますが、神宮で通用したとは思えません。せいぜい、4年秋の東大戦でお情けの代打ぐらいしか出番は無かったでしょうね🥎
準硬式では打てずに迷惑をかけたことも多々ありましたが公式戦で200打席以上も使ってもらえました。やっぱり野球は試合に出ないと上手くなれません。これから野球を志す方には、自分の立ち位置を考えて進路を選ぶべきであると助言させていただきます。せっかく好きな野球の道に進んで、アルプススタンドで応援しているだけでは何のために野球をやっているのか。よ~くお考え下さい🥎
野球なんてララ~ラ~ラララ~ラ~ラ~~~♫♫🥎
*本日のタイトルは拓郎の名曲「人間なんて」の歌詞をパクらせていただきました🥎
野球週報2023 ㉞
8月20日(日) 昨日段ボールが届いたので今日から本格的に引越し準備。
8月21日(月) 出勤日。
8月22日(火) 出勤日。
8月23日(水) 天王洲アイルで品川ビッグスターズの練習。1時で切り上げて2時から決勝戦をテレビ観戦。暑いし、勝つのも分かっていたので甲子園には行きませんでした(笑)。
8月24日(木) 出勤日。
8月25日(金) 午前中は出勤。本日は引渡し日で鍵の受取りがあるので午後から年休。鍵を持って横浜市中区滝之上のマンションにGO。
8月26日(土) 午前中は滝之上のマンションで通電手続きとフロアコーティングの立ち合い。ランチは根岸森林公園のベンチで本牧館のパンを10数年ぶりに食べました。
22年 大阪vs金星 2回戦
2023年8月25日金曜日
ぼくの好きな先生
当ブログが中学時代に買ったレコードは、シングル盤は1枚もなく5枚のLPでした。
かぐや姫の「はじめまして」、「おんすてーじ」、「さあど」、RCサクセションの「初期のRCサクセション」、なぎらけんいちの「葛飾にバッタを見た」の5枚です。
かぐや姫の「さあど」は発売前から市川駅前のレコード屋さんに予約していて発売日に聞きました。B面1曲目が「神田川」で、後にシングルカットされて大ヒットしたので、関係者以外では日本で最初に「神田川」を聞いた一人だったのです。
RCサクセションの「初期のRCサクセション」の2曲目「ぼくの好きな先生」がお気に入りでした。清志郎が通っていた都立日野高校の実在の美術教師が楽曲のモデルであったと伝えられています。
当ブログの「ぼくの好きな先生」は「古文」の教師でした。風変わりな白衣を着て歯に衣着せぬ言動で、その先生も当ブログが大ファンだった当時オリジナルで放映されていた「刑事コロンボ」の大ファンだったという共通点がありました。受験校で3年にもなると受験科目以外の授業ではそっちのけで受験科目の勉強をするのが常識でした。「古文」も受験科目である「国語」の一分野ですが、風変わりな先生だったのでみんな変人扱いして無視していたようです。当ブログだけはお気に入りの先生だったので週2時間の「古文」の授業だけは真面目に勉強していました。
慶應義塾高等学校の試験日、「数学」は得意だったので分からない問題は無く多分満点。「英語」もほぼフルマークだったと思います。「国語」は苦手というより嫌いだったのでほとんど勉強していなかったのですが、「古文」の問題は「ぼくの好きな先生」が授業で取り上げた題材と同じのが出題されたので簡単に解けちゃいました。試験が終わって、皆が一様に「古文の問題が分からなかった」と言っていたので「こりゃ、やったかも」と思っていたら案の定合格していました。
当ブログ程度の頭と勉強量で「偏差値76」の試験を突破するのは奇跡に近かったのですが、「ぼくの好きな先生」の授業だけ真面目にやってきたご褒美でしたね(笑)。
2023年8月24日木曜日
部長にまつわるエトセトラ
本日は7月27日付け「高校野球にまつわるエトセトラ」に続いて「エトセトラ」シリーズ第2弾。
高校野球では「選手」と同様、「監督」に係る記事も多く見られ、森林監督もスター並みの扱いを受けています。そんな中で地味な存在なのが「部長」。
ということで、当ブログは日の当たらない「部長」にスポットライトを当てましょう。
数あるネット記事の中で赤松部長のコメントは「一般入試でもレギュラーになる選手はいる。どのルートで入ってきても、同じ扱いをしている」という趣旨を強調しているのが目立ちます。まあ、教育者として「推薦入学組を重視している」とは言えない立場は分かりますが、母校の優勝が「推薦入学」に頼り切っていたのは事実です。赤松部長の本音は「男はつらいよじゃあね~が部長はつらいよ」てなところでしょうね(笑)。正直に「推薦入学組のお陰で優勝できたが一般入試組も頑張った」と言えば良さそうなものを。現実は、頭のいい一般入試組を先乗りスコアラーとして活用し、野球が上手い推薦入学組のデータ野球に活かしているのですが。
当ブログが「部長」という立場のつらさを実体験からご教示しましょう。
私が高校軟式3年の春の大会での出来事。軟式でも公式戦には「部長」もベンチに入らなければならない規程があるのですが、その日「部長」はどういう訳かグラウンドに姿を見せず、「失格」となって不戦敗となりました。数日後練習に姿を見せて謝罪し辞任されました。忘れていたのか、家庭の事情で来れなかったのか、事情は分かりませんがそんなことがありました。その「部長」は「生物」の教師で、私も授業を受けていたので試験があります。「生物」にはほとんど興味がなかったので白紙に近い状態で試験解答を提出しました。赤点なら留年(清原の息子が留年しているのは有名ですのでネット記事でご確認ください)ですが、何故か合格点となり留年を免れました。
恐らく元「部長」は、公式戦に姿を見せずに失格「不戦敗」になったことに対して私が抗議のためにわざと「白紙」を提出したと誤解されて「合格」にしてくれたのだと思いますが、事実は私が「馬鹿」だったためまともな解答を提出できなかっただけのことだったのです。
まあ、その時の元「部長」も「部長はつらいよ」てなところだったのではないでしょうかね。
本日のタイトルは、PUFFYの名曲「渚にまつわるエトセトラ」をパクらせていただきました(笑)。