野球なんて試合に出なきゃ上手くならない🥎
私は1974年に慶應義塾高等学校軟式野球部に入部しました🥎
中学は千代田区立一橋中学で、校庭はアスファルトで野球部も無く、競技経験が無かったからです🥎
小学校時代は千葉県市川市国分地区では野球少年として鳴らしていましたので多少は自信がありましたが、受験校出身では硬式はちょっと敷居が高かったですね🥎
この選択は大正解でした。偶然ですが、塾高軟式野球部は私が入部する数年前に全国優勝した神奈川軟式球界の名門でした。もちろんそんなことは知りませんでしたが🥎
これも偶然ですが、1年先輩に硬式の連中が「彼らは何者?」と不思議がっていた二人の左右の天才的プレイヤーが軟式に在籍していたのです。硬式から引っ張られそうになっても何故か軟式に在籍したままだったその二人が当然三、四番を打っていて、五番は何人か候補がいましたがみんな失格で、先輩が3年の夏の大会でそれまで一番だった2年の私が五番に抜擢されました🥎
夏の大会では全然打てなかったのに決勝まで五番で起用され続け、決勝戦で先輩の三、四番を二三塁に置いて優勝を決める2点タイムリーを中前に放って何とか面目を保ちました🥎
先輩の後を追って大学は準硬式野球部に進みました。ライバルは硬式出身者ばかりでしたが2年春からリーグ戦に出場して、大学でも3人でクリーンナップを組むことも多かったですね🥎
3年秋には3割を打って奇跡的にベストナインを獲得。これも全て、試合に出続けて経験を積ませてもらったおかげでした🥎
硬式に行っていたら、と思ったことは何度もあります。高校ではレギュラーにはなれたと思いますが、神宮で通用したとは思えません。せいぜい、4年秋の東大戦でお情けの代打ぐらいしか出番は無かったでしょうね🥎
準硬式では打てずに迷惑をかけたことも多々ありましたが公式戦で200打席以上も使ってもらえました。やっぱり野球は試合に出ないと上手くなれません。これから野球を志す方には、自分の立ち位置を考えて進路を選ぶべきであると助言させていただきます。せっかく好きな野球の道に進んで、アルプススタンドで応援しているだけでは何のために野球をやっているのか。よ~くお考え下さい🥎
野球なんてララ~ラ~ラララ~ラ~ラ~~~♫♫🥎
*本日のタイトルは拓郎の名曲「人間なんて」の歌詞をパクらせていただきました🥎
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