2025年8月16日土曜日

22年 南海vs東急 12回戦

7月17日 (木) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 3 3 南海 28勝24敗3分 0.538 丸山二三雄 
0 0 0 0 1 3 0 0 X 4 東急 19勝32敗2分 0.373 白木義一郎

勝利投手 白木義一郎 9勝11敗 
敗戦投手 丸山二三雄 8勝5敗

二塁打 (東)大下 
三塁打 (南)安井、田川 (東)長持
本塁打 (東)鈴木圭一郎 2号

勝利打点(東)一言多十 1

猛打賞 (南)安井亀和 4


東急、長打攻勢で快勝

 甲子園の第1試合は丸山二三雄と白木義一郎の先発で午後1時40分、二出川球審の右手が上がりプレイボール。

 現在では7月にもなると連日35度の高温になるが、昭和22年のこの日は晴天ではあるが神戸市の最高気温は28.7度であった(気象庁ホームページより)。

 東急は5回裏、先頭の白木が左前打で出塁、大沢喜好が送りバントを決めて一死二塁、二死後トップに返り一言多十が中前にタイムリーを放ち1点を先制する。

 東急は6回裏、一死後大下弘がレフト線に二塁打、続く長持栄吉が中越えにタイムリー三塁打を放ち2-0、更に鈴木圭一郎がレフトスタンドに第2号ツーランを叩き込む長打攻勢で4-0とリードを広げる。

 南海は最終回、先頭の安井亀和が中越えに三塁打、河西俊雄が中前にタイムリーを放ち1-4、田川豊が中越えにタイムリー三塁打を放ち2-4、一死後堀井数男の二遊間タイムリーで3-4と1点差、一死後坂田清春に代わる代打別所昭が四球を選んで一二塁、打撃の良い丸山がそのまま打席に入ると死球を受けて二死満塁、しかし最後は小林悟楼に代わる代打岡村俊昭が三飛に倒れてゲームセット。

 白木義一郎は7安打1四球1死球5三振の完投で9勝目をマークする。

 東急は大下の二塁打、長持の三塁打、鈴木の本塁打の3連続長打攻勢で快勝した。

 試合を決める一発を放った鈴木圭一郎は中外商業の出身。聞き慣れない校名かもしれないが、戦後は琴浦女子と合併して現在の県立尼崎北高となる。地元では「尼北」の愛称で呼ばれて文武両道の名門として知られている。卒業生は多彩で、三木武夫元総理大臣を始めとして各界に俊英を輩出している。「赤い鳥」から分かれて「紙ふうせん」を結成した後藤悦二郎と平山泰代の二人も尼北の出身。

 確認できるプロ野球に進んだ卒業生は鈴木圭一郎の他は石井武夫と瓦谷嘉宏で、3人ともキャッチャーであるところが文武両道校らしいところである。石井武夫は昭和14年9月17日に甲子園球場でランニングホームランを打っており、鈴木圭一郎の今季の2本塁打は尼北出身者としては8年ぶりとなる。

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