吉田要は満州日日新聞記者時代に満州リーグで審判員を務めていた頃、当ブログに何度か登場した。
ユニークなな経歴の持ち主であるが詳細は不明だったところ、昭和22年3月18日付け日刊スポーツに「東大野球部監督 吉田要氏に決定」の見出しで詳しい経歴が紹介されているので転載する。
昭和2年:法大投手として7年振りに宮武、山下の慶大を破る。
昭和3年:入営
昭和4年:復学
昭和5年:リーグ戦優勝
昭和6年:法大チームとともに渡米
昭和8年:卒業して満州日日新聞社入社、同年満州実業団に入り谷口投手とともに活躍して都市対抗に出場し準決勝で東京倶楽部に敗る。
昭和15年:安東実業野球団監督。プロ野球渡満当時審判。
昭和19年:満州出版文化研究所企画部理事。
昭和22年:満州より引揚げ現在鎌倉に居住。
昭和15年8月21日付け満州日日新聞の記事に「かつて自分が渡米した当時、ボストンのブッシュウィック・ホテルでセントルイス・ブラウンの監督だったバッキー・ハリス二塁手(後のワシントン・セネタースの名監督)と打撃に就いて語り合ったことがあった。」と書かれているが、これは昭和6年に渡米した時のものであったことが判明した。
東大野球部監督就任にあたって、「従来のただ取る打つ走るだけの野球ではなく、新しい科学的な野球を指導していきたい。」と抱負を語っている。現代の指導者にも聞かせたい。
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