6月22日 (土) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 計
1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 2 阪急 20勝13敗 0.606 前川八郎 野口二郎
1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 セ軍 10勝22敗 0.313 白木義一郎
勝利投手 野口二郎 6勝3敗
敗戦投手 白木義一郎 5勝7敗
二塁打 (急)上田 (セ)飯島、大下
勝利打点 (急)坂井豊司 1
山田伝の脚が活きる
第9節3日目、後楽園の第1試合は前川八郎と白木義一郎の先発で午後1時5分、池田球審の右手が上がりプレイボール。
阪急は開幕からショートには尾西信一を起用してきたが、この日は戦後初出場の坂井豊司が七番ショートで起用された。
また、ほとんどの試合で一番か二番であった山田伝を初めて六番に置いた。
阪急は初回、先頭の上田が三塁に内野安打、上田が二盗を決め、下社の一ゴロで上田は三進、青田が中前にタイムリーを放ち1点を先制する。
セ軍はその裏、先頭の一言多十が四球を選ぶと二盗に成功、横沢は三遊間に内野安打、一言は三塁ベースを蹴ってホームを狙うが、ショート坂井からの送球にタッチアウト。一言は坂井が戦後初出場ということで試合勘が鈍っていると見てホームに突っ込んだようだが、坂井は岐阜商業で鍛えられているのでぬかりはなかった。この間に打者走者の横沢は二塁に進んで一死二塁、飯島がレフト線に同点の二塁打を放ち1-1と追い付く。
この後両チーム決め手を欠き無得点が続く。
阪急は4回、坂井の戦後初ヒットと坂田清春の四球で一死一二塁とするが後続なし。6回は先頭の山田が左前打から二盗を決めて無死二塁とするが後続なし。9回は一死後ヒットで出た坂田を上田が送って二死二塁とするが、下社に代わる代打鳥居兵治は三振に倒れて無得点。
セ軍は4回、先頭の大下が右中間に二塁打を放ち、一死後白木が四球で一二塁とするが、石原光男の左飛に二走大下が飛び出しておりゲッツー。7回の石原のヒットもゲッツーで生かせず、8回は二死から横沢、飯島が連続四球でバッターは大下、この試合最大の見せ場となったところで阪急ベンチは前川に代えてリリーフに野口二郎を送り、大下との勝負を避けてストレートの四球で二死満塁、長持に代えて代打黒尾を起用するが三ゴロに倒れて無得点。
阪急は延長11回表、先頭の山田が初球を打って遊ゴロ、これをショート大沢喜好がエラー、坂井の初球がボールとなったところで山田が二盗を決め、更に三盗にも成功、坂井が4球目をライトに打ち上げると山田がタッチアップから生還、2-1と勝ち越す。
8回のピンチの場面で登板した野口二郎は3回3分の1を無安打2四球無三振無失点で切り抜け、6勝目をマークする。
阪急の西村正夫監督としては、山田伝を初めて六番に置き、初めて起用した坂井豊司が勝利打点と、会心の采配であった。
11回表に山田伝が二盗、三盗を決めたところが勝負の分かれ目となった。この二盗と三盗の間にはカウントが記録されていないので、二盗に成功した山田が白木の次の投球の前にディレードスチールで三盗を決めたようだ。
戦後初出場の試合で延長11回に決勝犠飛を放った坂井豊司は、昭和22年でプロを離れて社会人野球に転ずるが昭和25年に新生広島に入団、昭和26年に再び社会人野球に戻り、昭和27年の都市対抗野球に熊谷組の補強選手として出場、準決勝で敗れたがその試合でスリーランを放つなど、この大会で12打数4安打4打点の活躍を見せることとなる。
*山田伝が二盗、三盗を決めた場面。同じカウントのところで二盗と三盗を決めているので、二盗を決めてから白木の次の投球の間にディレードスチールを決めたようだ。
*坂井豊司は昭和27年都市対抗野球に熊谷組の補強選手として出場、準決勝で敗れたがこの試合ではスリーランホームランを放つ活躍。三位決定戦を含めて12打数4安打4打点を記録した(「都市対抗野球大会60年史」より)。
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