2020年1月18日土曜日

21年 阪急vsタイガース 3回戦


6月9日 (日) 後楽園 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 16勝10敗 0.615 野口二郎 
0 0 0 0 3 0 0 0 X 3 タ軍 12勝12敗 0.500 御園生崇男 

勝利投手 御園生崇男 2勝0敗
敗戦投手 野口二郎     5勝2敗 

二塁打 (タ)富樫
本塁打 (タ)池端 1号

勝利打点 (タ)池端忠夫 1


池端忠夫、決勝スリーラン

 後楽園の第2試合は野口二郎と御園生崇男の先発で午後3時23分、島主審の右手が上がりプレイボール。

 タ軍先発の御園生は快調な立ち上がりで3回までパーフェクトピッチング。


 阪急先発の野口二郎も初回先頭の呉昌征に中前打を許すが、二死後呉の二盗をキャッチャー日比野が刺して3人で攻撃を終えると、2回~4回は三者凡退の連続。


 阪急は4回表、二死後青田がセンター右にチーム初ヒット、青田が二盗を決めるが、野口明は遊ゴロに倒れて無得点。



 阪急は5回表、二死後下社が四球を選んで出塁するが、日比野は三ゴロに倒れて無得点。

 タ軍は5回裏、先頭の藤村が左前打で出塁、土井垣は右飛に倒れるが、富樫がストレートの四球を選んで一死一二塁、ここで池端のレフトへの当りは風に乗ってスタンドに吸い込まれ先制スリーラン、3-0とリードする。

 6回以降、阪急は敵失で2人の走者を出しただけでシャットアウト負けを喫する。


 御園生崇男は1安打1四球無三振の完封で2勝目をあげる。御園生は今季2度目の登板で2試合連続完封勝利。「日本野球年鑑」によると「シュート」が良かったとのこと、捕邪飛1本を含めて内野飛球が6本あった。


 8回を完投した野口二郎の投球数は86球、御園生も98球で、試合時間は1時間丁度であった。


 この日の後楽園は風速6.7メートルの強風が吹き荒れ、池端忠夫はその強風に乗せて決勝スリーランを放った。プロ野球在籍1年の池端にとって、唯一の本塁打であった。



3 件のコメント:

  1. 記事と無関係で恐縮ですが、1946年に在籍し2試合だけ出場した「加藤」という審判について、何かご存知でしたら教えてください。
    おそらく非正規の臨時審判だと思いますが、下の名前が分からないので、一体誰であったのか調べています。
    何か心当たりがあれば教えてください。お願いします。

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    1. ご質問の「加藤審判員」が5月3日と5月6日の藤井寺球場の試合で塁審を務めた「加藤」審判であるならば、戦前の南海、近畿に所属していた加藤喜作ではないかと推測しています。
      昭和21年の関西の審判員は人員が不足しており、阪急球団職員の片岡勝が数多くの試合で審判員を務めています。加藤喜作も星野組に移るまではグレートリングの職員だったようなので、「助っ人審判員」に駆り出された可能性があるのではないかという程度の推測ですが。

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  2. 早速の返信、ありがとうございます。
    まさに、その「加藤」審判のことです。そして、私も同じく「加藤喜作」ではないかと仮説を立てて調べていましたので、職業野球に詳しい管理人様も同様に考えていると分かり、少しだけ真相に近づいた気がして嬉しく思っております。
    加藤喜作がグレートリングの職員となったのが1946年の初頭で、星野組に移籍したのが同じ年の秋だと聞いておりますので、その短い期間に臨時で審判として出場したと考えるのは一番可能性として高いかもしれませんね。
    現在、1946年に発行された野球関連の古資料を調べて加藤喜作が審判をしたような記述が無いか調べているところでしたが、管理人様の意見を聞いて更に調査してみようと思っています。
    返信、本当にありがとうございました。

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