2019年10月28日月曜日

白木-松永のバッテリー


 松永英一について、「白木とバッテリーを組んだのはこの日が初めてであった可能性が高い」と書かせていただいたところですが、「慶応義塾大学野球部史」に記載されている、昭和20年11月18日にステートサイドパークで行われたオール早慶戦のテーブルスコアに「投手・白木」、「捕手・松永」と書かれています。

 この「白木-松永のバッテリー」が揃ってセネタース入りし、昭和21年5月20日に、プロでは初のバッテリーを組んだようです。


 なお、「慶応義塾大学野球部史」によると、年明けの昭和21年12、13日にも西宮球場で全早慶戦が行われており、この時の全慶應のバッテリーは大島-加藤となっていて、大島信雄と加藤進のようです。年明けの時点では白木と松永は既にセネタース入りしていたことになります。


*昭和20年11月18日に行われた全早慶戦。全慶應のバッテリーは白木-松永となっている(「慶応義塾大学野球部史」より転載)。

2 件のコメント:

  1. 松永英一は東京セネタースを辞めたあと川崎コロムビアに戻っています。
    戦後のセネタースに参加したのは、慶應商工→慶大→川崎コロムビアと同じ球歴を辿った横沢七郎の線ではないでしょうか。
    ちなみに昭和21年限りでセネタースを退団後は藤倉電線(全藤倉)に入っています。

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    1. セネタースは横沢三郎監督の明大ラインから大下、上口ら4人、七郎の慶應ラインから飯島、白木と一見ビッグネームを揃えたように見えますが、ベテランのプロ経験者が横沢七郎と家村相太郎くらいで、プロ経験者をずらりと揃えた上位チームには太刀打ちできません。

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