5月20日 (月) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 パ軍 7勝8敗1分 0.467 藤村隆男 湯浅芳彰
0 0 0 0 0 1 0 1 X 2 9 セ軍 6勝8敗 0.429 白木義一郎
勝利投手 白木義一郎 5勝4敗
敗戦投手 湯浅芳彰 1勝2敗
二塁打 (パ)木暮
勝利打点 (セ)黒尾重明 1
横沢三郎監督、会心の采配
西宮の第1試合は3,294人の観衆が見守る中、午後1時5分、金政主審の右手が上がりプレイボール。この試合は歴史に残ることになる。
セ軍先発の白木は立ち上がりから落ち着いた投球でパ軍初回の攻撃を三者凡退に退ける。
パ軍先発の藤村隆男は不安定な立ち上がり。初回、先頭の横沢に四球を与え、長持を二ゴロ併殺に打ち取りながら、続く大下にも四球、飯島を三ゴロに打ち取り何とか無失点で切り抜ける。
パ軍は2回表、一死後辻井が右前打で出塁、伊勢川の遊ゴロは「6-4-3」と転送されるが二塁はセーフで二死二塁、松井の左前打で二死一三塁、しかし松井の二盗をキャッチャー熊耳が刺してスリーアウトチェンジ。
セ軍は2回裏、先頭の白木が左前打から二盗を決めるが後続なく無得点。
セ軍は3回表、鈴木清一、横沢が連続四球、長持が送って一死二三塁、大下の一ゴロで三走鈴木が飛び出したところ、ファースト辻井は三塁に送球、鈴木は三本間に挟まれ「3-5-2」でタッチアウト、二走横沢は三塁に進むが、打者走者の大下は一塁止まりなので鈴木はあまり粘れなかったようだ。一発勝負の「ゴロゴー」は構わないが、問題は挟まれた後の対処で、二三塁を作るまで粘らなければならない。尤も、打者走者の大下が全力走塁していなかった可能性は否定できないところ。二死一三塁から飯島がストレートの四球を選んで二死満塁、しかし白木は中飛に倒れて無得点。
パ軍は5回表、伊勢川、松井の連打で無死一二塁とチャンス到来、しかし平野徳松は捕飛、続くシーンが問題の場面、藤村に代わって代打白石敏男が登場して右飛、トップに返り富松も中飛に倒れてスリーアウトチェンジ。
パ軍は藤村に代打を出した関係で、5回から湯浅芳彰が二番手としてマウンドに上がり、代打に出た白石はベンチに引っ込む。
セ軍は6回裏、一死後飯島が左前打で出塁、二死後一言多十はストレートの四球で一二塁、根津に代わる代打黒尾も四球を選んで二死満塁、熊耳に代わる代打上口政の三遊間タイムリーで均衡を破り1点を先制する。
代打攻勢を掛けたセ軍横沢三郎監督は7回の守備を大幅に入れ替え、セカンド根津の代打に出た黒尾がレフトに入り、キャッチャー熊耳の代打に出た殊勲の上口がライトに入り、レフト大下に代わって石原光男が入ってセカンド、ライト長持に代わって松永英一が入ってキャッチャー。二番、三番を打つ長持と大下を残しておく選択肢もあったが、横沢三郎監督は代打に出て先制点を奪った黒尾と上口を残す用兵を選択した。これが功を奏すことになる。
パ軍は8回表、二死後木暮がライトに二塁打、続く小島の当りは三ゴロ、これをサード横沢七郎が痛恨のエラー、二走木暮が還って1-1の同点とする。
セ軍は8回裏、一死後白木が二遊間にヒット、一言の遊ゴロをショート松井がエラー、白木は三塁に、打者走者の一言は二塁に進んで一死二三塁、ここで大下を下げてまで残しておいた黒尾が左前に決勝打を放ち2-1と勝ち越す。
白木義一郎は5安打4四球3三振の完投で5勝目、ハーラートップの森井に並んだ。
大下を下げて残しておいた黒尾が決勝タイムリー、横沢三郎監督会心の采配であった。8回にタイムリーエラーを犯した弟の横沢七郎が一番ほっとしたのではないか。
この横沢采配に絡んでキャッチャーとして途中出場した松永英一は、昭和11年のセネタース在籍時代以来10年ぶりの出場。10年前のセネタースと現在のセネタースは無関係の別チーム。松永英一は慶應商工の出身で白木義一郎の先輩となる。5年次離れているので白木とバッテリーを組んだのはこの日が初めてであった可能性が高い(前年のオール早慶戦でバッテリーを組んでいたようです。別掲にて詳述)。慶應商工は現・慶應義塾高等学校の前身とされているので、私の大先輩でもあります。詳しくは、2012年5月12日付け「幻の大先輩 その一」をご参照ください。
さて、パ軍藤本定義監督が「無届け」の白石敏男を代打に起用したことで大問題に発展しますが、詳しいことは後日お伝えします。後にこの試合は「没収試合」となり、スコアは「9対0」に修正されることになります。
https://shokuyakyu.blogspot.com/2012/05/blog-post_12.html
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