2015年1月26日月曜日

17年 名古屋vs大洋 5回戦 その3


5月24日 (日) 後楽園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 ・・・・
0 1 1 0 0 0 0 0 2 ・・・・名古屋
0 0 0 0 0 2 2 0 0 ・・・・大洋

二塁打 (名)古川、芳賀 (大)浅岡
本塁打 (名)古川 3号


古川清蔵が同点ホームラン、試合は延長へ

 名古屋は8回、先頭の吉田はワンボールから右飛、野口正明は初球を打ち上げて一邪飛、西沢も初球を叩いて中前打、芳賀も初球を左中間に運ぶ二塁打、西沢は三塁にストップして二死二三塁、トップに返り石丸藤吉はストライク、ストライク、ファウルからの4球目を打って投ゴロ、この回も無得点。

 大洋は8回裏、野口二郎がツーツーからの5球目を中飛、野口明が初球をレフト線にヒット、村松はツーナッシングと追い込まれて3球目を叩いた打球はライトへの飛球、野口明は当然ハーフウェイ、ところがライト飯塚が落球、野口明は慌てて二塁に走るが強肩飯塚が白球を拾って二塁に送球、野口明はフォースアウトとなって又もライトゴロが記録される。「村松の当りはヒット性ではなかったの?」との疑問は当然ですが、ここは「真説日本野球史」に「村松の右飛を右翼手落球したが、野口を二封」と書かれています。ということで二死一塁、苅田がワンツーからの4球目を引っ張りレフト線にヒット、一走村松は二塁ベースを蹴って三塁に向かうがレフト吉田からの送球にタッチアウト。

 この回名古屋の外野陣、飯塚誠と吉田猪佐喜が補殺を記録したが、「野球界」昭和17年6月15日号に当時の強肩外野手として飯塚誠、織辺由三、呉波の名前が上がっている。吉田猪佐喜についても補殺が多いことはこれまで当ブログが何度もお伝えしているとおりです。

 名古屋は9回、先頭の木村は2球ファウルで粘るが4球目を投ゴロ、桝がツースリーから四球を選んで出塁、飯塚は2球目を一ゴロ、この間に桝は二進、古川がツーボールナッシングからの3球目をレフトスタンド上段に運ぶ同点ツーラン、4対4と試合は振出しに戻る。これが長い長い延長劇の幕開けであった。吉田はワンツーからの4球目を一邪飛。

 大洋は9回裏、佐藤が3球ファウルで粘りツースリーからの9球目を叩くが捕邪飛、織辺はワンツーからの4球目を左飛、トップに返り中村はツーボールからの3球目を二ゴロ、試合は延長戦に突入する。


 「真説日本野球史」によると野口二郎は古川に3回に打たれたレフトへの二塁打が内角球だったことから外を攻めたが2球外して3球目をまん中低目に投じたとのことで、古川の本塁打は370フィートの大ホームランであったと伝えている。


 野口二郎の自伝「私の昭和激動の日々」によると、「・・・レフト上段に持っていかれた。私は小柄な選手が苦手だった。古川君は小柄というほどではないが、大男が多い名古屋では優男のほうだった」とのこと。「Wikipedia」によると古川清蔵は170センチ、飯塚(小鶴)誠は176センチ、吉田猪佐喜も176センチ、西沢道夫にいたっては182センチである。大男が多い名古屋では古川清蔵は優男であった。

・・・その4に続く



*9回に古川清蔵が同点ホームランを放った場面を伝えるスコアカード。





*8回に村松長太郎のライトゴロで一走野口明が二封された場面。ちょっと見づらいかもしれませんが目一杯拡大表示していますのでご勘弁を。実際のスコアカードはB5版に延長28回分が収められていますので肉眼では見ることはできません。全プレーを拡大鏡で確認しながらアップしています。







 

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