5月20日の南海vs巨人の春季天王山は好ゲームだったように見えるかもしれないが、巨人のクレームにより1時間近く中断があった。
5回巨人の攻撃、水原茂の二塁打で1対1の同点となった場面、中島治康は投ゴロに倒れるが、川久保主審のフェアの判定に巨人ベンチからクレームがついた。この時は諦めたようだが6回南海の攻撃、内野安打で出塁した岩本義行が二盗を決めた際、次打者室井豊が隈部一郎捕手を妨害したとクレームをつけ、試合は50分間中断した。
これまで見てきたように、吉原正喜が兵役で抜けた巨人は今季キャッチャーに楠安夫を起用している。本来であれば4年半の兵役から帰還した内堀保をキャッチャーに起用する予定であったが太平洋戦争の開戦によるごたごたからか、内堀は即座に再応召となったため楠安夫にマスクを被らせていたのである。その楠が欠場、これは確かな情報は分かりませんが、川上哲治、白石敏男、楠安夫が5月の約1か月の関西遠征中に順次1週間ほど試合を欠場しいることから徴兵検査のため帰郷していたと考えるのが妥当でしょう。川上は今季シーズン中に応召、白石も自伝に「なかなか応召が無いので焦った」と書いていることから徴兵検査を受けていたことは間違いなく、楠安夫も年齢的に徴兵検査を受けていてもおかしくはない。当時のプロ野球選手は徴兵猶予を受けるため大学に籍を置いていたので一般の徴兵年齢よりは上になる可能性が高い。花の13年組でも、実年齢が高い吉原正喜は昭和16年シーズン終了後に応召、吉原と実年齢が同じとなる1919年生まれの三田政夫は大学に籍を置くことを潔くないと考えたからか、20歳となった昭和14(1939)年シーズンを最後に応召し戦死する。
このような状況で楠安夫を欠いた巨人は隈部一郎をキャッチャーに起用しているが、5試合で17盗塁を許す弱肩の隈部は各チームに走りまくられている。室井の妨害がなくても岩本の脚なら隈部には刺せないことは巨人ベンチも理解していたが、苦手の神田武夫を揺さぶることが目的であったことは容易に想像できる。水原の二塁打で同点となった自軍の攻撃ではあっさりと引き下がったが、川上のタイムリーで逆転した直後にはおそらく刺せるはずもない隈部の送球を妨害したと執拗にクレームをつけ50分間試合を中断させているのである。当ブログは、神田の肩を冷やすことが目的であったと推測する。
巨人の言い分としては、太平洋戦争勃発のあおりを受けてキャッチャーが不在なのだからちょっとは遠慮してくれという感情が背景にあったことは容易に想像がつく。しかし各球団選手のやりくりはどこも同じような状況である。後の江川事件に見られる巨人の「ゴリ押し」体質は、昭和17年ペナントレースでも遺憾なく発揮されていたのである。
*「雑記」欄の記載。②が5回巨人の攻撃「川久保主審フェアを宣して一もめあり」、①が6回南海の攻撃で「二盗のとき室井が捕手を妨害したと巨人より申出があり50分休む(4時再開)」との巨人サイドからのクレームです。
*試合開始は3時22分、終了は5時40分で2時間18分ですが、巨人のクレーム時間の40分を差し引いて試合時間は1時間38分と記録されています。
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