戦前の試合では最も有名な試合をアップする前に、補足説明させていただきます。
大和球士著「真説日本野球史」昭和篇その四には
「筆者(大和球士=筆者注)は残念なことに、自分がネット裏で記した延長二十八回のスコアカードを戦災で焼失したため、この空前絶後の大記録を野球ファンの皆さまにお見せできないものと断念していたが、幸いなことに、最近に至り、広瀬謙三公式記録員の残された貴重なカードを入手できたので、延長二十八回詳細な全記録を初めて公開の運びに至った。自他ともに慶賀の至りと申せよう。
さすが、公式記録員の記入したカードだけに、二十八回の長丁場の最後まで細大もらさず、一球ごとのストライク、カーブ(これは「ボール」の間違いでしょう=筆者注)、さては刺殺数、補殺数まで書きこまれている。この広瀬カードを踏まえて、気の遠くなるような長い長い延長二十八回の回想記を綴りたいと思う。あの試合をネット裏から見た時の感激を思い出しながら・・・幻の試合を現実の試合に置きかえてみたい・・・。」
と記している。
大和球士はスコアカードに基づき書いたと書いているが、当ブログの所有するスコアカードとは所々異なっている。見ているものが同じものであることはほぼ間違いないので、大和球士の読み間違いが数多くあると思料される。
当ブログが解読しているスコアカードは故・福室正之助氏が所蔵していたものであることは既報のとおりです。昭和17年に広瀬謙三に次いで山内以九士が公式記録員として採用されて関西のゲームのスコアを付けています。関東の試合は従来通り広瀬謙三がスコアを付けていました。大和球士の言う「広瀬謙三公式記録員の残された貴重なカード」とは、関東の試合のスコアカードのことです。因みに前年までの関西の試合は連盟から委託された記者がスコアを付けていました。
「真説日本野球史」では各回のアットバットを記しています。当ブログも全プレーをお伝えしますのでかなりの部分は重複しますが、「真説日本野球史」と読み比べていただければ、どの部分が異なっているかも判明します。その他、適宜当時の「野球界」に書かれているこの試合の模様も踏まえながら進めていく予定です。
http://shokuyakyu.blogspot.jp/2010/12/blog-post_09.html
0 件のコメント:
コメントを投稿