石丸進一は4月6日付け読売新聞に「球威が乏しいうえ単調」と書かれているように、投手としては凡庸である。したがって、打者に向かっていく「ケンカ投法」が不可欠となる。戦後、西鉄-太平洋-クラウンライター-西武で251勝247敗の成績を残した東尾修も、入団当初はエース池永の剛球を見て自信を無くし、三塁手転向を自ら申し出たほどの凡庸の投手であったが、打者に向かっていく「ケンカ投法」に活路を見出し大投手へと成長していったのである。
プロ野球のピッチャーでも、素質に恵まれた者ばかりが存在している訳ではない。素質をもて余して無駄にする者もあれば、素質に乏しい点を何かで補いカバーしようとする者もいる。石丸進一と東尾修は、それを「ケンカ投法」に見出した。東尾修は通算165与死球の日本記録を作り、石丸進一は昭和17年4月11日の巨人戦で3死球を与えたのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿