2014年7月1日火曜日

16年 名古屋vs阪急 11回戦


10月27日 (月) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 名古屋 35勝40敗 0.467 村松幸雄
0 1 0 0 0 1 0 0 X  2 阪急    44勝30敗1分 0.595 森弘太郎

勝利投手 森弘太郎 25勝8敗
敗戦投手 村松幸雄 12勝9敗

二塁打 (急)山下、日比野

勝利打点 山下好一 1


森弘太郎、ノーヒットノーラン

 阪急は2回、先頭の日比野武が四球を選んで出塁、上田藤夫が送って一死二塁、山下好一が右中間に二塁打を放って1点を先制する。

 阪急は6回、先頭の日比野がレフト線に二塁打、上田は四球を選んで無死一二塁、山下の一ゴロで上田が二封されて一死一三塁、森田定雄が中前にタイムリーを放って2-0とする。


 森弘太郎が快投を見せた。1回、先頭の石丸藤吉を遊ゴロに打ち取るがショート上田がエラー、桝嘉一の二ゴロでランナーが入れ替わり、古川清蔵は三振、桝に二盗を許すが大沢清を右飛に打ち取る。2回、3回は三者凡退。

 4回、先頭の桝に四球を与え、古川が送って一死二塁、大沢を中飛に打ち取るが服部を歩かせて二死一二塁、ここも吉田猪佐喜を遊ゴロに打ち取る。5回、6回は三者凡退。

 7回、一死後服部に四球を与え二盗も許して一死二塁、しかし吉田を遊ゴロ、芳賀直一を左飛に仕留める。8回も一死後村松幸雄に四球を与えるが石丸藤吉を中飛、桝に代わる代打岩本章を遊ゴロに打ち取る。

 9回、先頭の古川は遊ゴロ、大沢に四球を与えるが最後は服部を三ゴロ併殺に打ち取り無安打無得点を完成する。


 8回、桝嘉一に代打岩本章が起用されて森弘太郎はほっとしたのではないでしょうか。こういう時のピッチャーは、ベテランの桝嘉一の方が嫌なはずです。


 最近見つけた資料によると森弘太郎は昭和5年の第7回センバツにレフトとして登録されて出場しているようです。この大会に一宮中学は初出場しました。「センバツ高等学校野球大会50年史」に記載されているメンバー表には「遊 森」とだけ書かれており、この「森」が森弘太郎だとしたらショートで登録されていることとなります。Wikipediaの「第7回選抜中等学校野球大会」における「主な出場選手」には森弘太郎の名前は見られません。昭和8年の第10回センバツにも一宮中学が出場しましたが、「センバツ高等学校野球大会50年史」に記載されているメンバー表には「森弘太郎」の名前は見られません。ところが、Wikipediaの「第10回選抜中等学校野球大会」における「主な出場選手」には森弘太郎の名前が認められます。


 果たしてどの資料が正確なのか、戦前を代表する好投手・森弘太郎の経歴についてさえもこの有様ですから、当ブログの“野球史探訪”の役目はますます重要になってきました。





*森弘太郎は無安打無得点を達成して25勝目をマークする。








*森弘太郎に無安打に抑え込まれた名古屋打線。












*ベースボールマガジン社「NO-HITTERS」より。


















 

3 件のコメント:

  1. BBM社の『高校野球甲子園優勝物語』(2007年刊)の巻末にある全メンバー表に三塁手として森常保という名前があり、昭和10年の大会では控えに森良三という選手がいました。
    森弘太郎の名前は見当たりませんね。

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    2. 「選抜高等学校野球大会50年史」の昭和5年第7回大会のメンバー表では「三塁手 森常 保」となっていますので別人でしょう。
      6月29日に終了したヤフオクに「第7回全國選抜中等学校野球大会選手名鑑 サンデー毎日」が出品され、「左 森弘太郎」の名前が認められる一宮中学のメンバー表の写真が掲載されています。応札し忘れたのですが(笑)。
      「選抜高等学校野球大会50年史」の昭和5年第7回大会のメンバー表に見られる「遊 森」が森弘太郎である可能性は考えられるのではないでしょうか。

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