2014年4月6日日曜日

不振



 中島治康を戦前屈指の強打者と誤解している方が大宗を占めていると考えられますが、当ブログの評価は「浮き沈みの大きいバッター」です。



 昭和16年8月18日の巨人対阪神8回戦、中島治康の第5打席で坂本茂が代打に起用されました。坂本は今季13打数3安打の新人です。何故中島治康は代打を送られたのでしょうか?



 中島は8月9日の朝日戦第一打席で右前タイムリーを放って以来、18日の阪神戦第四打席まで32打席、28打数連続無安打の不振を続けています。遂に藤本定義監督の堪忍袋の緒が切れたというところでしょうか。



 中島は13年秋に三冠王となったことから戦前屈指のスラッガーと言われていますが、その打撃ぶりを一試合毎に検証していくと波の大きなバッターであったことが分かります。13年秋の成績を前半、後半で検証してみるとこの傾向は顕著に表れます。すなわち、前半20試合では84打数24安打、打率2割8分6厘、15打点、3本塁打ですが、後半20試合では18試合に出場して71打数32安打、打率4割5分1厘、23打点、7本塁打と、その差は歴然としています。



 中島治康は松本商業時代は甲子園優勝投手、早稲田大学時代は早稲田式打撃法に付いていけず実績は全くありません。ところが昭和9年、全日本に選出されると巨人の四番バッターに成長していくという浮き沈みの激しいスラッガー人生を歩みます。「浮き沈みの大きさ」こそが中島治康のアイデンティティーと言えるでしょう。






 

0 件のコメント:

コメントを投稿