2019年9月5日木曜日

審判員


 選手でも川上は熊本で農業をやっていますし、若林は奥さんの実家で働いています。伊賀上のようにノンプロでプレーはしていますがプロには帰っていない選手も多くみられます。その中で新人も多く参加して戦後のプロ野球が再開した事情は複数の書籍で確認できますので、当ブログでは多くは触れません。

 これが審判員の状況となると・・・

 後楽園の4日間は全て島秀之助と池田豊の二氏で、1試合ごとに主審と塁審を交互に努めています。この後、第2節から桝嘉一が加わることとなります。

 関西の試合は金政卯一、杉村正一郎、片岡勝、二出川延明の4人が交代で務めています。三氏審判でこなしていますが、4月30日藤井寺の第1試合だけ杉村、金政の二氏でした。

 片岡勝は正式な審判員登録はされていません。日本運動協会、宝塚運動協会に所属していた元プロ野球選手で、阪急球団職員の立場で、昭和15年の満州遠征でも満州日日新聞の吉田要記者(元・法政大学投手)と共に「助っ人審判員」を務めていました。困った時には必ず助けてくれる「風車の弥七」みたいなヤツですね。

*当ブログでは、「野球人」と認定した場合は、プロ、アマの区別なく全て「呼び捨て」とさせていただいております。「野球人」には「呼び捨て」が似合うという考えに基づいています。ご了承ください。


入場料金


 「観客動員」の項で「昭和21年開幕シリーズの入場料は、調べれば分かるでしょうね」と書かせていただきましたが、昭和21年4月21日発行「体育週報」に「1試合5円、2試合10円」という記述が認められます。一日1試合の時は「5円」、一日2試合の時は「10円」だったようですが、詳しく知りたい方は他の資料もご確認ください。




2019年9月4日水曜日

観客動員


 第1節が終了しましたので、4日間の観客動員数を確認してみましょう。

 開幕日の4月27日は土曜日。まだ、週休二日制は定着していなかったと考えられます。後楽園は3,725人、西宮は5,016人でした。


 4月28日は日曜日。後楽園は7,791人、西宮は9,332人でした。


 4月29日は天長節で休日。後楽園は7,872人、西宮は10,824人でした。


 4月30日は火曜日で平日。後楽園は2,561人、藤井寺は1,915人でした。



*スコアカードに記載されている人数です。

 当時の世相を知る上でも参考になるかと考えられますので、今後も極力「観客動員数」をお伝えしていきます。


 因みに昭和20年11月23日にステート・サイド・パークで行われた東西対抗第1戦は5,878人(鈴木龍二著「鈴木龍二回顧録」より)。この時は入場料が6円、うち税金が4円という高値だったので、その直前に行われた「オール早慶戦」の10分の1しか集まりませんでした。昭和21年開幕シリーズの入場料は、調べれば分かるでしょうね(笑)。


2019年9月3日火曜日

三冠への道 令和元年 その4


7月の月間MVP予想

 今期は3ヶ月連続パーフェクト予想が続いていますが、8月は超混戦となりましたのでパーフェクト予想はあり得ないと宣言させていただきます。

 ア・リーグ打撃部門はJ.D.マルティネスが99打数39安打、3割9分4厘、10本塁打29打点で有力。


 ナ・リーグ打撃部門はワシントンのアンソニー・レンドンが104打数41安打、3割9分4厘、8本塁打29打点で有力。3割2分、14本塁打33打点のアクイーノがライバルで、打率を取るか本塁打を取るかの争い。当ブログはシーズンMVP争いでも有力候補のレンドンと予想します。


 ア・リーグ投手部門はクリーブランドのマイク・クレビンジャーが5勝0敗、防御率1.96、51奪三振で有力。


 ナ・リーグ投手部門はセントルイスのジャック・フラハティが4勝1敗、防御率0.71、47奪三振で有力ですが、4勝0敗、防御率0.74、44奪三振のソニー・グレイも全く遜色ない。差が付くとすればWHIPでフラハティが0.74、グレイが1.06。但し、WHIPは短期の指標としては重要視する必要はないので、当ブログは復活したソニー・グレイと予想します。



タイムスリップ


 本日(と言っても既に日付変更線を超えていますので昨日ですが)、3年ぶりに大学時代の野球部仲間と同期会。

 数年ぶりの再会ですが、会った瞬間40年前に「タイムスリップ」します。


 まぁ、準硬式ではありますが「体育会」ならではの厳しさはありましたので、「あぁ~、あの時はぁ~」なんて話で盛り上がりまくりましたね(笑)。


 皆様方にも同様の実体験があるでしょう。昔の仲間は大切にしましょうね。



2019年9月2日月曜日

21年 セネタースvs巨人 2回戦

4月30日 (火) 後楽園 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 セ軍 2勝2敗 0.500 白木義一郎 
0 0 0 3 0 0 0 0 X 3 巨人 2勝2敗 0.500 近藤貞雄 

勝利投手 近藤貞雄     2勝0敗
敗戦投手 白木義一郎 1勝1敗 

二塁打 (巨)多田

勝利打点 なし


セ軍、4併殺で自滅

 後楽園の第2試合は午後2時55分、共に前の試合で完封勝利を飾った白木義一郎と近藤貞雄の先発で試合開始。

 巨人は1回裏、一死後呉新亨が一塁線にヒット、千葉茂の中前打で呉は三塁に進み、千葉が二盗を決めて一死二三塁、黒沢俊夫のショートライナーに三走呉が帰れずダブルプレー、「ライナーバック」の基本を怠った。


 セネタースはは2回表、一死後長持栄吉が二塁にヒット、しかし上口政の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。


 セ軍は3回表、一死後根津弘司が左前打で出塁、白木がストレートの四球を選んで一死一二塁、しかしトップに返り横沢七郎の二塁ベース寄りのゴロをセカンド千葉がベースを踏んで一塁に転送してダブルプレー。


 セ軍は4回表、先頭の鈴木清一が四球を選んで出塁、しかし大下弘の右飛に鈴木が戻れずライト林清一からファースト諏訪裕良に送球されてダブルプレー。この後飯島滋弥が四球を選び、長持が中前打を放って一二塁とするが、上口は三ゴロに倒れて無得点。


 巨人は4回裏、一死後黒沢がストレートの四球で出塁、多田文久三のレフト線二塁打で一死二三塁、ここでキャッチャー熊耳武彦がパスボールを犯して三走黒沢が還り1点を先制、諏訪が左前にタイムリーを放ち2-0、林の左前打で一死一二塁、近藤の遊ゴロで林清一が二封されて二死一三塁、山川喜作が左前にタイムリーを放ち3-0とリードする。


 セ軍は7回表、一死後長持がストレートの四球で出塁、上口に代わる代打黒尾重明がピッチャー強襲ヒット、熊耳の左前打で一死満塁、根津に代わる代打一言多十が押出し四球を選んで1-3、なおも一死満塁のチャンスが続くが、白木の三ゴロが「5-4-3」と渡るゲッツーとなって万事休す。


 4つの併殺でチャンスを潰したセネタースに反撃の余力はなかった。


 近藤貞雄は6安打5四球2三振の完投で2試合連続完投勝利。


 巨人はノーエラー。山川喜作、千葉茂の守備力で快勝する。



2019年9月1日日曜日

21年 グレートリングvs阪急 2回戦


4月30日 (火) 藤井寺 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
0 0 1 0 1 0 0 0 0 2 グ軍 1勝3敗 0.250 松川博爾 長谷川治 野口渉 
0 1 0 4 0 0 0 0 X 5 阪急 3勝1敗 0.750 野口二郎 

勝利投手 野口二郎 1勝0敗
敗戦投手 松川博爾 0勝2敗 

二塁打 (急)野口二郎、上田

勝利打点 (急)尾西信一 1


上田藤夫、満塁走者一掃二塁打

 藤井寺の第二試合は午後2時50分、金政卯一主審の右手が上がりプレイボール。

 グレートリングの先発は開幕投手を務めた松川博爾。阪急は戦後初登板となる野口二郎で応戦する。


 阪急は2回、先頭の高橋敏が死球を受けて出塁、野口明が中前打で続いて無死一二塁、三木久一の三ゴロをサード宮崎仁郎がベースを踏んで一塁に送球し「5C-3」のダブルプレー、二死二塁となって野口二郎が左中間を破る二塁打、二走野口兄が還って1点を先制する。戦争が終わっても強力兄弟コンビは健在。


 グ軍は3回、先頭の松川が左前打で出塁、筒井敬三が送って一死二塁、トップに返り安井亀和の遊ゴロをショート尾西信一が一塁に悪送球、二走松川は動けず一死一二塁、宮崎が四球を選んで一死満塁、堀井数男の左犠飛で1-1の同点に追い付く。なお、「犠牲フライ」については、戦後になっても1953年までは記録されることはなく、スコアカードの記載から当ブログが独自にお伝えしていますのでご了承ください。


 阪急は4回、先頭の野口明の当りは二ゴロ、これをセカンド安井がエラー、三木が四球を選んで無死一二塁、野口二郎は右飛に倒れ、坂田清春はストレートの四球で一死満塁、尾西の遊ゴロ併殺崩れの間に三走野口明が還って2-1と勝越し、トップに返り山田伝が四球を選んで二死満塁、ここで戦前からの強者上田藤夫が左中間に走者一掃の二塁打を放って5-1と大きくリードする。グ軍は先発の松川を下げて、二番手として長谷川治をマウンドに送る。


 グ軍は5回、先頭の筒井が左前打で出塁、トップに返り安井もレフトにヒットを放ち無死一二塁、宮崎の三ゴロをサード三木がベースを踏んで二走筒井は三封、堀井が四球を選んで一死満塁、山本一人の遊ゴロ併殺崩れの間に三走安井が還って2-5とする。


 グ軍は7回から三番手として野口四兄弟の四男・野口渉がマウンドに上がる。


 戦後初登板となった野口二郎は6回以降無失点。7回には安井の内野安打と堀井のヒットで一死一二塁のピンチを迎えるが、山本一人監督を投ゴロ併殺に打ち取る。9回、先頭の野口渉の遊ゴロをショート上田が一塁に悪送球して無死二塁とするが、代走の大橋一郎を牽制で刺してピンチの芽を摘み、5安打5四球5三振2失点の完投で戦後初勝利を飾る。


 この試合では野口四兄弟のうち3人がグラウンドに立ったが、三男昇は消息を絶ったままである。既に「戦死公報」が届いているかは不明。終戦直後の野球記事には、「沢村もどうやら戦死したようだ」などの記載も認められ、混乱した状況がうかがえる。


 勝利打点は併殺崩れで打点が付いた尾西に記録されるが、「真の殊勲打」が試合を決める満塁走者一掃の二塁打を放った上田藤夫であることは言うまでもない。


 上田はジミー堀尾に誘われてハワイから阪急に入団した日系二世で、昭和12年春から23年まで、戦前戦後を通じてプロ野球選手として活躍する。昭和13年9月24日の名古屋戦でショートとして1試合11補殺(「Wikipedia」には12補殺と書かれているが、スコアカードで確認すると11補殺)、昭和15年11月6日の巨人戦ではショートの守備で1試合6併殺(こちらはスコアカードどおり)を記録した。現役引退後は審判に転じ、審判の公正を期すため、試合後、帰りの電車で選手と一緒にならないようにわざわざ一電車遅らせて帰宅(永田陽一著「ベースボールの社会史 ジミー堀尾と日米野球」より)する実直な人物として知られている。