2019年11月22日金曜日

21年 中部日本vsセネタース 3回戦


5月30日 (木) 西宮 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 
5 0 0 0 1 1 8 0 0 15 中部 6勝9敗2分 0.400 森井茂 
0 0 1 1 1 0 0 0 2  5  セ軍 7勝10敗 0.412 上口政 大下弘 

勝利投手 森井茂 6勝4敗
敗戦投手 上口政 0勝1敗 

二塁打 (中)笠石、古川、服部

勝利打点 (中)古川清蔵 1

猛打賞 (中)古川清蔵 1、金山次郎(4安打) 1 (セ)貫井函治 1、鈴木清一 1


森井茂、中部の全6勝をマーク

 第6節の初日は後楽園で2試合と西宮で2試合。西宮の第1試合は午後1時丁度、杉村主審の右手が上がりプレイボール。

 中部は依然小鶴誠が欠場、金山次郎が復帰して九番ショートに入る。


 セ軍は大下が2試合連続四番、バッテリーは初登板の上口政に初出場の貫井函治、五番ライトも初出場の北川圭太郎と、目先を変えてきた。


 中部は初回、先頭の岩本章の当りは二飛、これをセカンド長持栄吉が落球、藤原鉄之助はストレートの四球で無死一二塁、古川清蔵が中前に先制タイムリーを放ち1-0、藤原が三盗に成功、一走古川は動いていないので、慣れない上口-貫井の隙を見て藤原がノーサインで走ったものか、加藤正二もストレートの四球で無死満塁、木下政文のライト線タイムリーで2-0、服部受弘の三ゴロの間に三走古川が還って3-0、笠石徳五郎が左中間に二塁打を放ち二者還ってこの回5点を先制する。


 セ軍先発の上口は、2回、3回もピンチを迎えるが何とか無失点で切り抜ける。


 セ軍は3回裏、一死後プロ入り初打席の貫井が中前に初ヒット、鈴木清一の右前打で一死一二塁、トップに返り一言多十が右前にタイムリーを放ち1-5とする。


 セ軍は4回裏、先頭の大下が右前打で出塁、北川のニゴロ、長持の遊ゴロの間に大下は二進、三進して二死三塁、森井茂のワイルドピッチで大下が還り2-5と追い上げる。


 中部は5回表、服部、笠石が連続中前打、森井が送って一死二三塁、金山の右前タイムリーで6-2とする。金山が二盗を決め、岩本が死球を受けて一死満塁、しかし藤原の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。


 セ軍は5回裏、先頭の貫井の当りは遊ゴロ、これをファースト笠石が落球、鈴木の右前打で貫井は三塁に走りかけるがストップ、しかし打者走者の鈴木は前を見ていなかったようで二塁に向かって走り続け、「9-1-5-6」と転送されて鈴木がタッチアウト、一死二塁となってトップに返り岩本が右前打を放って一死一三塁、横沢の右飛をライト加藤が落球、更に白球を拾った加藤からの返球が悪送球、三走貫井が生還して3-6と追い上げる。貫井の得点について横沢に打点が記録されているので、当時は公式記録では「犠牲フライ」は記録されていなかったが、現代風に言うと「犠牲フライには十分な飛距離」と判断されて横沢に打点が記録されたものと考えられるところから、当ブログの記録では横沢の「右犠飛」となる。加藤には落球と悪送球の2つのエラーが記録されて一死二三塁、しかし飯島は浅い左飛、大下も三振に倒れて追加得点はならず。セ軍はここで試合の流れを掴みきれず、この回はこの試合の大きな分岐点となった。


 中部は6回表、先頭の古川が中前打、一死後古川が二盗に成功、二死後服部の左中間二塁打で7-3と再度突き放す。


 中部は7回表、先頭の金山が三塁線にヒット、トップに返り岩本は四球、藤原の二直をセカンド長持が落球して無死満塁、古川の遊ゴロをショート鈴木がエラー、三走岩本の生還について古川に打点が記録されて8-3、なおも続く無死満塁から加藤が中越えに走者一掃の三塁打を放ち11-3、木下に代わる代打三村勲が中前にプロ入り初ヒットとなるタイムリーを放ち12-3、服部の遊ゴロをショート鈴木が再びエラー、セ軍ベンチはここでようやく上口をレフトに回しレフトの大下がマウンドに上がるが、大下は肩が出来ていなかったか、笠石は四球、森井は押出し四球、金山と岩本の内野安打が連続タイムリーとなってこの回8点、15対3と大きくリードする。


 大下は8回、9回は無失点。


 12点を追うセ軍は9回裏、先頭の上口に代わる代打宮下義雄が三遊間にプロ入り初ヒット、貫井が中前にこの日3本目のヒット、センター古川が後逸する間に一走宮下が還って4-15、打者走者の宮下は一気に三塁に向かうが、「8-1-5」の中継にタッチアウト、鈴木が左前打、トップに返り一言は四球、二死後飯島が左前にタイムリーを放ち最後の抵抗を見せるが、大下が三邪飛に倒れてゲームセット。


 森井茂は13安打1四球1三振で完投、ハーラー単独トップの6勝目をあげる。開幕から1か月以上が経過して、中部日本の勝利は全て森井茂のもの。


 セ軍が初登板の上口政を引っ張りすぎたのは否定できないが、エース白木が投げられない現状では致し方のない面も認められる。結果からみると、白木はこの年440イニングスを投げているので年がら年中投げていると勘違いされている方もいらっしゃるかもしれませんが、この時期2週間以上白木は登板していない。何らかの故障が考えられる。大下の登板がこの時期に集中しているのも、そういう事情によるもの。


 いいところのなかったセ軍であるが、初出場の貫井函治が猛打賞を記録。打率1割台と当りの出ていなかった大下も2試合連続2安打、ようやく光明が見えてきた。


 中部は初回に笠石徳五郎が放った追撃の2点タイムリー二塁打が大きかった。セ軍も中盤で追い付いていたら黒尾重明をリリーフに送る手も残されていたが、笠石の追撃打による序盤の大量失点がそうさせなかったのである。


*笠石徳五郎の直筆サイン入りカード。昭和25年西鉄クリッパース時代のもので、「笠原捕手」は明らかに誤植。1年だけ存在した西鉄クリッパースのユニフォームの資料としても貴重ですね。
綱島理友著「日本プロ野球ユニフォーム大図鑑」によると「ウールのグレーで、左胸に小さくCLIPPERSの文字」とのこと。この写真では見えずらいですが、帽子のマークは「西」の字をデザイン化したもの。


*当時の「笠原」姓は、南海の笠原和夫。こちらが本物の笠原の直筆サイン入りカード。


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