2019年11月8日金曜日

戦後最初の「隠し球」


 昭和21年5月23日、西宮球場の第2試合、グレートリングvsパシフィック2回戦の8回表グ軍の攻撃、先頭の清水秀雄が右飛に倒れてからの一死後、筒井敬三が三塁線にゴロを放ち、この回からサードの守備に入った高須清が一塁に送球、打者走者の筒井は一塁に駆け込みセーフ、内野安打となって筒井が一塁ベースに戻り、リードを取って離塁したところに何と白球を隠し持っていたファースト辻井弘がタッチ、戦後最初の「隠し球」が成立しました。

 「隠し球」は戦争後期となった昭和18年に禁止されましたので、スコアカードから確認できる戦前最後の「隠し球」は、昭和17年10月15日、阪神vs大和14回戦の5回裏大和の攻撃、先頭の石原繁三が右前打で出塁し、ライトからの返球を隠し持っていたファースト門前真佐人が石原がリードを取って離塁したところにタッチして成立させた「隠し球」であると考えられます。


 したがって、辻井がやった「隠し球」は3年半ぶりのものとなりました。まぁ、平和な時代を象徴する出来事と言えそうです。


 ちなみに、私が先週やっていた草野球で、1回表二死二三塁で左中間に2点タイムリー二塁打を放ち、リードを取るために二塁ベースを離れたところを遊撃手にタッチされて「隠し球」を喰らいました。小学生以来約50年ぶりでしたね。平和な時代です(笑)。



*戦後最初の「隠し球」が記録された場面。九番筒井が三塁への内野安打で出塁したがファースト辻井にタッチされて二死目が記録されており、「雑記」欄に「かくし球」と記載されている。





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