5月26日 (日) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 阪急 12勝5敗 0.706 野口二郎 天保義夫
0 0 0 0 0 0 0 0 1X 1 巨人 9勝7敗 0.563 藤本英雄
勝利投手 藤本英雄 4勝2敗
敗戦投手 野口二郎 3勝1敗
二塁打 (巨)多田
勝利打点 (巨)山田潔 1
猛打賞 (巨)近藤貞雄 1
打撃不振の山田潔がサヨナラ打!
西宮の第2試合は野口二郎と藤本英雄の先発で午後3時7分、杉村主審の右手が上がりプレイボール。第1試合で三塁塁審を務めた阪急球団職員の片岡勝はこの試合では外された。
試合は両投手による息詰まる投手戦となった。
藤本は初回、一死後下社にレフト戦ヒットを許すが、青田を二ゴロ併殺に打ち取り波に乗った。2回、3回は三者凡退。4回、先頭の山田伝に四球を与え、一死後青田のスウィングがキャッチャー多田のミットに当たる打撃妨害で一二塁のピンチを招くが、野口明を一ゴロ、野口二郎を二飛に打ち取り無失点。5回も1四球を与えただけでここまで無失点。
野口二郎は走者を出しながらのピッチング。初回、上田、尾西の二遊間が1つずつエラーを犯して二死一二塁のピンチを招くが、当たりの出てきた多田を左飛に打ち取り無失点。2回は近藤、3回は千葉にヒットを許すが無失点で切り抜け、4回は初めての三者凡退。5回は二死後呉新亨にヒットを許すが、呉の二盗をキャッチャー坂田が阻止してここまで無失点。
後半に入っても藤本は快調なピッチング、6回は二死後青田に中前打を打たれて二盗を許すが、野口明を遊ゴロに打ち取る。7回、8回は三者凡退。
野口二郎は6回、一死後千葉に四球を与えるが、ここも千葉の二盗を坂田が阻止、続く黒沢の投ゴロを野口が弾くがバックアップのショート尾西が黒沢を一塁に刺してバックが野口を盛り上げる。7回は二死後近藤と藤本に連打を浴びて一二塁のピンチを招くが、当たりの出ない山田潔を投ゴロに打ち取り無失点。8回も一死後山川に中前打から二盗を許すが、千葉を右飛、黒沢を左飛に打ち取り何とか無失点で切り抜ける。
阪急は9回表、一死後青田が左前打を放って出塁、しかし野口明のニゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。
巨人は9回裏、先頭の多田がレフト線に二塁打、林は三邪飛に倒れるが、近藤の左前打で一死一三塁、強打の藤本、当たっていない山田潔と続くここは藤本を敬遠して一死満塁、阪急ベンチはここで野口二郎に代えて天保義夫をマウンドに送り、巨人は諏訪を代打に起用する手もあったが山田がそのまま打席に向かい、天保の初球を二遊間にヒット、三走多田がサヨナラのホームを駆け抜け藤本の好投に報いる。
藤本英雄は3安打2四球1三振で今季3度目の完封、4勝目をマークする。
戦前は力任せのピッチングで四球から崩れるケースが目立った藤本は、戦後になってピッチングスタイルが変わった。一般には昭和22年の中日時代に肩を壊してから軟投派に移行したと言われているが、昭和21年の時点で戦前と投球内容が変わっていることは、「実況中継」を聞いている当ブログの読者であればご理解いただけるでしょう。
開幕からショートで使われ続け、この試合まで46打数4安打、打率0割8分7厘と全く当りの出ていなかった山田潔がサヨナラ打を放った。内野の控えには戦前からのベテラン坂本、宮下、渡部がいるので諏訪の代打は当然考えられる場面であったが、藤本英雄監督は余程山田の守備を信頼しているのでしょう。因みにまだ中島治康は復帰していないので、開幕からこの時点での巨人の監督は藤本英雄。
打率1割に満たない打者のことを、球界では「ブ男」と呼びます。私も東京六大学準硬式野球リーグ戦で、2年秋は開幕から使われ続けながらシーズン途中まで打率1割を切っていましたので身に沁みます。山田はこの一打で50打数5安打となり、打率を1割に乗せてきました。
*大映時代の選手名鑑に残された山田潔の直筆サイン。山田はこの年で巨人を去り国民リーグに移り、昭和23年から金星-大映で長く活躍を続ける。このユニフォームは昭和24~25年に使われたもの。(綱島理友著「日本プロ野球ユニフォーム大図鑑」参照)
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