2019年11月19日火曜日

打球鬼ごっこ


 さて、山田伝と安井亀和との「鬼ごっこ」をお伝えしたところですが、そもそもベースボールが日本に伝来した当時、「打球鬼ごっこ」と呼ばれていたことは多くの方もご存じのことと思います。

 ベースボールが急速に日本中に普及していった理由は、当時の小学校の教科書にベースボールが「打球鬼ごっこ」として紹介され、プレーの仕方などを教わった子供たちに大人気となったというのが「定説」となっています。


 明治18年3月に刊行された「西洋戸外遊戯法」にベースボール「打球鬼ごっこ」が解説されています。「西洋戸外遊戯法」は「国立国会図書館デジタルコレクション」で電子化されており、簡単にインターネットで観ることができますのでご確認ください。


 「西洋戸外遊戯法」以外にも、当時の教科書の「指導書」が複数残されています。当ブログが所有しているのは明治19年10月に刊行された「小学遊戯法」で、ここでは「打球鬼」としてベースボールのやり方等が解説されています。既にこの時点では、「打球鬼ごっこ」は「打球鬼」と略して普及していたようです。


 中馬庚がベースボールを「野球」と訳したのは明治27年のことで、翌28年2月に「一高野球部史」が発行され、明治30年に「野球」が刊行されることとなります。



*明治19年10月に刊行された、当時の小学校の教科書の「指導書」です。

*打球鬼(ベースボール)のルールややり方が解説されています。

*こちらはバッティングの指導法。どうも打率が上がらないので、当ブログも見習わなければ(笑)。


*こちらは明治30年に刊行された中馬庚の名著「野球」。


*当ブログが所有しているのは増補第八版で、青井鉞夫により「技術論」が増補されています。
但し、初版でも「技術論」は青井が書いていたと考えられます。中馬は教育者であり「野球」は素人レベル、青井は日本野球史初期の名投手です。

*第八版は明治35年10月1日に刊行されました。中馬の印鑑が貴重ですね(笑)。

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