2015年5月1日金曜日

山下代理監督



 昭和17年7月に入って下位に低迷していた名古屋の快進撃をお伝えしているところですが、昭和17年7月17日付け読売新聞に掲載されている鈴木惣太郎の論評に「山下代理監督下の名軍は気分を一新して漸く地力を発揮してきている」という記述が認められます。この「山下代理監督」は、今季名古屋に移ってきた「山下実」以外に該当する人物はいないと見て間違いないでしょう。


 2006年に中日新聞社が発行した「中日ドラゴンズ70年史」によると、昭和16年は小西得郎監督でシーズンインし、6月下旬から本田親喜に交代して助監督は桝嘉一。昭和17年は本田親喜が監督で助監督は桝嘉一。昭和18年は総監督が三宅大輔で監督が桝嘉一となっています。公式には山下実が代理監督になったとは伝わっていません。


 7月に入って本田親喜が選手として出場する機会が増えています。当ブログもプレイングマネージャーとして出場しているとばかり思っていましたので「本田親喜監督」とお伝えしてきましたが、7月以降は「選手・本田親喜」に訂正させていただきます。


 このところ名古屋の戦いぶりに変化が見られるのは事実です。その要因が山下実新監督によるものかもしれません。各種資料でも、山下実が阪急以外に名古屋でも監督を務めたという記録は見たことがありませんが、鈴木惣太郎の論評は信ぴょう性が高いとみていいのではないでしょうか。昭和17年に入ると物資窮乏が激しくなり、新聞記事のスペースも激減しています。以前であれば監督交代の記事が掲載されないことは考えられないのですが、非常時なので致し方のないところでしょう。


 

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