昭和17年5月1日、朝日vs大洋3回戦11回裏一死無走者、竹内愛一監督は何を思ったのか、前の打席で同点二塁打を打たれた野口明を警戒してここまで好投を続けてきた福士勇に代えてとっておきの林安夫をマウンドに送ったが、野口明にサヨナラホームランを打たれて裏目に出た。
林安夫はよく知られているように今季541回3分の1を投げることとなります。林安夫は何故そこまで投げまくったのか知っている人はいらっしゃいますでしょうか?
昭和17年2月15日発行「野球界」に鈴木惣太郎による「春の新陣容展望」が掲載されており、そこには林安夫について「稀代の新人投手『どうしても竹内さんの処へ行くんだ』と監督の熱意にぞっこん惚れ込んで、他の方面からいくら勧誘されても、ふりむきもせず、ひたむきに朝日軍に加盟」と書かれています。
林安夫は尊敬する竹内愛一監督の期待に応えるために投げまくりました。本日は見事に期待を裏切った訳ですが、竹内愛一監督の林安夫に対する信頼は揺らぐことはなく、林安夫は竹内愛一監督の期待に応えるべく投げまくったのです。
林安夫が記録したシーズン最多投球回数541回3分の1の記録は、他人には窺い知ることのできない竹内愛一監督と林安夫の間の信頼関係によって成し遂げられたのです。
その『野球界』の記事には、林安夫の名前は伏せられていますが、間違いなく林のことでしょうね。坪内道則の『風雪の中の野球半世記』にも林のスカウトについて書かれています。
返信削除竹内愛一は、戦後になって中部日本軍の監督に就任した時も、実弟の林直明を入団させていますので、林家としては頭が下がる思いでしょう。
昭和17年の林安夫は、新人ながら主戦投手として大活躍しましたが、竹内監督が手塩にかけて養成した結果でしょう。何せ、春のシーズン頃は竹内監督がベンチから一球一球サインを送っていたそうです。
竹内監督は、林の他にも福士勇を投手として一本立ち、帰還した内藤幸三を復活させ、戦後は捕手の服部受弘を一流投手に仕立て上げるなど投手に関して卓越した手腕の持ち主ですね。
http://baseballgleaning.blog.fc2.com/
さすがによくご存知ですね。
削除「風雪の中の野球半世記」60、61ページが林安夫についての記述です。