平山菊二が「塀際の魔術師」と呼ばれていたことは多くの野球ファンが知っている。
昭和23年の東西対抗で、飯田徳治のレフトへの大飛球を塀によじ登ってキャッチし、大和球士が「塀際の魔術師」と名付けた逸話は有名である。
その1年前、昭和22年8月21日に後楽園球場で行われた巨人対南海7回戦、2回裏に山本一人がレフトファウルゾーンに放った飛球を平山菊二がキャッチした。記録は「FF7」、左邪飛、レフトファウルフライであった。この試合の公式記録員山内以九士は、スコアカードの「雑記」欄に「スタンドへ手を延して好捕す」と記したのである。
これが記録に残る最初の「塀際の魔術師」であった。
平山は戦前から外野守備を得意としていた。昭和16年4月20日、甲子園球場で行われた阪神対巨人1回戦、8回裏に森国五郎が放ったレフトファウルゾーンへの飛球を平山がキャッチしたが、このプレーについて翌日の読売新聞は、三宅正夫の署名入り記事で「守っても8回森の難邪飛球を好捕した平山の働きは激賞してよい。」と伝えている。
平山が昭和23年の東西対抗で突然魔術を身に付けたのではないことを歴史が証明している。真実は当ブログにある。
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