昭和22年6月2日、東急vs巨人戦4回裏、黒沢俊夫は左前に通算459本目のヒットを放った。
黒沢はこの試合を最後に戦列を離れ、6月23日に病没することになる。最下位に低迷する巨人で、病気を隠してプレーを続けていたと言われている。
7月9日に背番号「4」は球界初の永久欠番に制定される。
0 件のコメント:
コメントを投稿