7月14日 (日) 金沢市設
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 8 0 0 2 2 2 0 0 17 タ軍 26勝16敗 0.619 野崎泰一 渡辺誠太郎
3 0 0 1 1 0 2 0 4 11 グ軍 20勝19敗 0.513 丸山二三雄 松川博爾 清水秀雄
勝利投手 渡辺誠太郎 5勝7敗
敗戦投手 丸山二三雄 7勝8敗
二塁打 (グ)河西
三塁打 (タ)渡辺 (グ)山本、安井2、堀井
本塁打 (タ)御園生崇男 2号、渡辺誠太郎 2号、土井垣武 1号、本堂保次 3号 (グ)田川豊 1号
勝利打点 (タ)渡辺誠太郎 1
猛打賞 (タ)金田正泰 6、本堂保次(4安打)4、長谷川善三 2 (グ)安井亀和 6、山本一人 6
両軍合計62塁打
金沢市設の第2試合は野崎泰一と丸山二三雄の先発で午後3時30分、杉村主審の右手が上がりプレイボール。
タ軍は初回、一死後金田が三遊間に流し打って出塁、土井垣は三振に倒れるが、本堂の左前打で二死一二塁、御園生が左越えにスリーランホームランを放ち3点を先制する。続く藤村冨美男監督は右前打で出塁、乾国雄の打席で野崎が一塁に牽制、藤村は誘い出されて一二塁間にストップ、そのまま野崎が藤村を追い詰めタッチしてアウト。藤村は何らかのパフォーマンスを狙ったかもしれないが失敗に終わったようだ。スコアカードの記載「1A」でこれだけでは何が起こったかわからないが、「雑記」欄に「投手に誘い出されて、そのままタッチさる」と書かれている。
グ軍は1回裏、先頭の河西がレフト線に二塁打、安井はストレートの四球、別所は捕邪飛に倒れるが、山本一人監督がセンター左奥に三塁打を放ち2-3、堀井の左犠飛で3-3の同点に追い付く。
タ軍は2回表、打ち直しとなった乾が四球を選んで出塁、野崎に代わる代打渡辺誠太郎が左越えにツーランホームランを放ち5-3と再度リード、グ軍はここで先発の丸山から松川博爾にスイッチ、長谷川善三が右前打、しかし松川の一塁牽制にタッチアウト、呉昌征は四球で出塁、金田の中前打で一走呉は三塁に走り、送球の間に打者走者の金田も二塁に進んで一死二三塁、キャッチャー筒井からの二塁牽制をセカンド安井が後逸する間に三走呉が還って6-3、一死三塁から土井垣の右前タイムリーで7-3、本堂の左前打で一死一二塁、御園生の中前タイムリーで8-3、一走本堂は三塁に進んで一死一三塁、御園生が二盗に成功、キャッチャー筒井からの二塁送球が悪送球となる間に三走本堂が還って9-3、一死三塁から藤村が四球を選んで二盗に成功、乾も四球で一死満塁、グ軍ベンチはここで松川から三番手の清水秀雄にスイッチ、渡辺の中犠飛で10-3、センター河西の本塁送球が悪送球となる間に二走藤村もホームに還ってこの回一挙8点、11-3とする。
タ軍のマウンドには野崎の代打に出てホームランを放った渡辺がそのまま上がる。
グ軍は4回裏、先頭の清水が四球で出塁、宮崎仁郎の投ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返り河西は三振に倒れるが、安井が中越えに三塁打を放ち4-11とする。
タ軍は5回表、一死後呉昌征が三塁に内野安打、二死後土井垣が右越えにツーランホームランを放ち13-4とする。
グ軍は5回裏、先頭の堀井が左前打、田川が三塁に内野安打、筒井も三塁内野安打で無死満塁、清水のニゴロで筒井が二封される間に三走堀井が還って5-13、宮崎の右飛で三走田川がタッチアップからホームを狙うが、ライト御園生からの好返球にタッチアウト。
タ軍は6回表、一死後乾が四球で出塁、渡辺の中越え三塁打で14-5、長谷川の中前タイムリーで15-5とする。
タ軍は7回表、先頭の土井垣の当りは遊ゴロ、これをファースト別所が落球、本堂が左越えにツーランホームランを放ち17-5とする。
グ軍は7回裏、先頭の山本が中前打で出塁、堀井の中越え三塁打で6-15、田川はストレートの四球、筒井の右犠飛で7-15と追い上げる。
グ軍は8回裏、河西、安井、別所の3連打で無死満塁、しかし山本は浅い右飛に倒れ、堀井の遊ゴロが「6-4-3」と渡ってダブルプレーで無得点。
グ軍は9回裏、先頭の田川が右越えにホームランを放ち8-15、筒井は右前打で出塁、清水も右前打を放って無死一三塁、宮崎の中犠飛で9-15、トップに返り河西が四球を選んで一死一二塁、安井が中越えに三塁打を放ち二者還って11-15、別所は二ゴロに倒れ、山本はスリーボールツーストライクから四球を選んで二死一三塁、しかし堀井は三飛に倒れてゲームセット。
タ軍は19安打で33塁打、グ軍は17安打で29塁打。「雑記」欄には「合計62塁打は新記録」と書かれている。
グ軍はよく追い上げたが、8回の無死満塁のチャンスを潰したことが響いた。あそこで何点か取っていれば、試合は分からなかった。タ軍ではこの試合に未出場の富樫淳がリリーフの用意をしていたかもしれないが、最終回も富樫を投入するまでには至らなかった。但し、富樫はこの後しばらく試合に出なくなるので何かしらのアクシデントがあったかもしれない。
「阪神タイガース昭和のあゆみ」によりますと、富樫は7月13日のゴールドスター戦でプレー中に負傷しています。
返信削除……七回内藤の打球を追った右翼の富樫が背走して捕球した直後、外野の観覧席に張りめぐらされていた鉄線に背部を激しくうちつけ、もんどりうって倒れるアクシデントに見舞われた。当時使用した金沢の市設グラウンドは陸上競技と併用だったので右翼が狭く、観覧席との境界線は鉄線一本だった……
この記述から考えますと、グラウンドルールでエンタイトル二塁打があってもおかしくはないですね
金沢市設では長打は三塁打と本塁打ばかりなので、鉄線を直接超えたら「本塁打」、ゴロで抜けたら「三塁打」がグラウンドルールだったのでしょうか。
削除外野フェンスが金網だからクッションボールが無くて三塁打が多かったのではないかと想像していましたが、想像以上に草野球並みのグラウンドだったようですね。
富樫は8月18日の巨人戦まで欠場が続くので、8月初旬の札幌遠征にも帯同しなかったかもしれません。
地方球場でグラウンドルールが適用された例は昭和22年8月16日、長野県営松本球場でおこなわれた巨人対阪急13回戦と、阪神対東急12回戦があります。
削除同球場は外野フェンスとスタンドが無かったため、100メートルの地点に杭をうち、さらに網を張って境界線を設け、打球が直接に越えれば本塁打、境界線をくぐり抜ければ三塁打としました。
そのルールが大きな原因となったのか、乱打戦の末に1試合両チーム計9三塁打の最多記録が生まれています。こういったドサ回りの試合を探せばグラウンドルールが適用された例がまだまだありそうです。
その他に変わったところでは東京六大学が昭和10年から36年までワンバウンドでスタンドに入った打球を三塁打としていました。
戦前の後楽園球場と甲子園球場もワンバウンドでのスタンドインは「エンタイトル三塁打」であったことが読売新聞の記述から確認できます。当ブログの実況でも何度かお伝えしています。左上の検索タブで「エンタイトル三塁打」でご確認ください。
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